『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

陰謀論的モノの見方と流行り病

「何かを観察する場合、幾ら本物っぽく感じたとしてもとりあえず眉に唾付けて3割引くらいで捉えておいたほうが無難である」てな話を述べたことがあります。
この『3割引』の視点というのは物事を俯瞰的に見るためには随分役に立ちます。
 
特に物事をすぐに信じやすいタイプの人は、一呼吸置くために「これって本当かなぁ?」って考えるクセをつけた方がいいのではないでしょうか?
「スゴい! スゴい!」ってのめり込む前にね!

この世界では「白黒ハッキリした所謂『正解』が何時も何処かに用意されている」なんてことは無いのです。
大抵は薄ぼんやりとした本当に合ってるか合ってないかも分からない『答え』がそこにあるだけです。
『答え』といってもそれを個々人が答えとして認識しているだけですがね…
 
で、人間は誰しもそんなボンヤリとした曖昧さの中を手さぐり足さぐりしながら一歩一歩進んでいくしかないわけです。
元からそういうものなのです。 
 
ただ、特にスピリチュアル系や自己啓発系にありがちですが、「世界は自分の為にある!」なんて思えてしまうほどの『万能感』や「自分に出来ないことなんてない!」と信じてしまえるほど『高揚感』を手に入れようとする人は大勢いらっしゃいます。
ボンヤリとした曖昧さの中を手さぐり足さぐりしながら一歩一歩進んでいくってやり方とは真反対のあり様です。
 
でも、そういった類いの『万能感』やら『高揚感』を求めれば求めるほどそれと反比例して心は浮き足立っていくのです。
実態とかけ離れた方向へ向かっているのですから当然です。
要はマヤカシの世界に心が絡めとられるってことです。
 
で、マヤカシに心が絡め取られた人は陰謀論的モノの見方に向かいやすくなります。
ここでいう陰謀論的なモノの見方とは「世の中には真実を知る覚醒した少数の人間と真実を隠す陰謀を企てる権力を持った勢力がいる!」という風な考え方のことです。
 
陰謀論的なモノの見方の一番の弊害は判断基準の偏りが逃れようもなく激しくなっていくところです。
それは無意識にしろ意識的にしろ自分にとって都合の良い事実ばかりをチョイスして、自分にとって都合の悪いことをサクサクと排除するようになるってことです。
 
逆にいえば自分にとって『都合のいい事実』にばかりを追いかけるようになります。
ここでいう『都合の良い事実』とは自分の考えた陰謀論にとって不都合な部分を取り除いた『本当にあった出来事』のことです。
例えばこんな風に↓
TVを見ると例外なく全ての方が、未だにマスクをしている。余程強い指示か圧力を受けているとしか思えない。こんな時は、市民のパワーが良心組を後押しできるかも。「マスクを外そう運動」なら皆ができる。
この方の周りの人たちは多分マスクなんて誰もしてないのでしょう。
それが「良識ある市民はマスクなんてかしないのだ」という『都合の良い事実』です。
 
別に『都合の良い事実』にどっぷり浸かって生きるのもご本人の自由でしょう。
ただ、流行り病に関しては他人を巻き込まないでほしいと切に願います。
 
 
 
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心のショックアブソーバーと鈍感になるココロ

人間は精神的に強くダメージを与えるものが現れると半ば無意識にそれを小分けにして心の奥に仕舞おうとします。
顕在意識からの記憶を薄めることで出来るだけダメージを分散してショックに耐えようとするのです。
 
例えば生まれてから今までの『苦しみ』のすべてが一つの大きな塊のようになっていたりしたら、あまりにもダメージが大きくて耐えられないでしょう…
そのため分割して隠してしまうのです。
 
隠してしまうとは自分自身の顕在意識からは認識しにくいようにするという意味です。
心の在り方としては潜在意識の奥に押し込んでしまうのですが、現実問題として身体のあちこちに地雷のように埋め込まれていたりします。
何らかの体感を伴ってね…
 
人間の心にはそういう自動車でいうところのショックアブソーバーみたいな機能が元々備わっているのだと思います。
一定以上負荷が掛かるとそれを分割分散してダメージを和らげようとする機能がです。 
 
このショックアブソーバーによって人間は知らず知らずに随分救われています。
心や身体に対して一度に受ける負荷を分散し、ダメージを軽減しているからです。
 
ただし、このショックアブソーバーはダメージを小分けして心の奥底に閉じ込めることを機能としていますので、それが作用すればするほど心や身体の風通しは悪くなります。
あまりに風通しが悪くなると身体なら硬化を起こし、心なら自閉を起こします。
 
それに、小分けされたダメージは別に無くなってしまうわけではありません。
分からないように仕舞われているだけです。
 
分からないようにするためにはその分心を閉じる必要があります。
意識しようと意識しまいとね!
 
そのため、ダメージを分散させる機能が過度に働きだすと自分の素の感情が分からなくなったりします。
苦しいのを隠しすぎて心に厚い手袋をはかせたようになるからです。
要はちゃんと苦しさを感じられないようになるのです。
例えばこんな風に↓
ピリピリした家庭で育った人は、『怒り』の感情表現が苦手。怒りが止められずに口論ばかりする人から、我慢しすぎて抑うつ症になる人まで色々なタイプが存在する。私は我慢するのが当たり前すぎて、怒りの感情に気づくことすらできなかった。
自分の怒り感情にまともに気付けなくなるってのは心にとって相当危険な状態だと思います。
何故なら心の風通しが悪くなるとダメージをダメージとして認識出来ず、ショックアブソーバーがちゃんと吸収出来なくなるからです。
そうなると心はより壊れやすくなります。
 
我慢し続けた結果苦しさを感じにくくなったことを心が強くなったと勘違いしてしまう方が世の中には結構いらっしゃるような気がします。
でも、それってひょっとしたら鈍感になった心にダメージを蓄積し続けてるだけかも知れません。
もしそうだとしたらその状況は結構ヤバいんじゃないでしょうかねぇ…
 
 
 
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『ノスタルジー濃度』という人を見るモノサシ

とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。
堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。
 
まぁ、そもそも過去が理想郷であるのかどうかってのが分かりませんけどね…
そして、もし万が一過去が理想郷であったとしても今となっては『失われた楽園』でしかないのです。
 
儒教のように「理想は全て太古の昔にあり、人はその時代に戻ることで賢者としての知恵を手に入れることが出来る!」なんて考え方は個人的には全くのマヤカシだと思っています。
最初のボタンから掛け違えてると強く感じるのです。
 
昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。
「時代を経るにつれ世界は段々ダメになる」って考えるのは仏教の末法思想ユダヤキリスト教の終末思想もそうですし、よくある考え方なのでしょう。
 
からしたら時代が進むほど世の中なり人間なりがダメになるって考えるのは、「今ここにある自分の不遇を呪詛してるだけだろう」と感じるのです。
大して良くもなかった昔を持ち上げることで、しょぼくれた過去の自分も美化出来るって寸法です。
 
以上のようなことを以前に述べました。
個人的にはこういう「とにかく昔は良かった」系の話をやたらとする人ってのに若い頃から違和感があります。
歳取った今でも「昔は良かった」ってあんまり思ってないのです。
 
で、ここからが本題です。
例によって例のごとく独断と偏見の塊ですが、昔は良かったって事あるごとに言うような人は自分の中ではそれだけで評価が二段階くらい下がります。
特にまだ中年くらいの年齢なのに、そんな感じなら要注意だと思います。
 
何故なら、俯瞰的にモノを見る能力が衰えてると感じるからです。
過去美化のバイアスがかかり過ぎてるとも申せましょう。
そういう状態の人を個人的にノスタルジー濃度の高い人って呼んでます。
 
人間歳を取れば取るほど相対的にノスタルジー濃度は高くなります。
これは大なり小なり誰だってそうです。
残された未来より過去の時間の方が長くなるのですからある意味当然の帰結です。
 
ただ、それとは別に昔の時間に縋りつきたい人は結構いらっしゃるように感じます。
昔を必要以上に美化することで今という時間が生み出す苦悩やら不安やらから逃れたいと思うのかもしれません。
 
でも、それはキレイに修正されたグラビア写真みたいなものです。
まったくのウソではないけど、過度に美しく修飾されたモノってことです。
ノスタルジー濃度が高くなるとそういったモノを本気で信じるようになります。
 
誰だって認識にバイアスはかかってます。
だからこそ自分の認識のノスタルジー濃度は出来るだけ上げないように気を付けた方がいいんじゃないでしょうか。
 
 
 
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除霊という『修羅の道』

例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 
チカラ比べには終わりがありません。

いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。
眼に見えないチカラの話ですがね…

よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。
そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。

そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。
常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。

返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血』くらいは浴びるかも知れないです。
そういうことを長く続ければ続けるほど所謂『返り血』を一滴も浴びない可能性は限りなくゼロに近付いていくでしょう。

そこにあるのは『斬った張った』の殺伐としたココロの世界です。
やってやられて、やられてやって…何処まで行ってもキリがないのです。
最後に行き着くのは「相手を消し去るか、さもなくば自分が(除霊に失敗して)花と散るか」二つに一つの『修羅の道』なのでしょう…

以上のようなことを今まで繰り返し述べてまいりました。
で、最近またそれを肯定するような文章を拝見したのです↓ 
浮遊霊、地縛霊とかなら除霊なんかしたらパワーアップして何度でも戻ってくるねん。そのパワーアップが除霊出来ないレベルになった時が 『詰み』になる。 
書いてらっしゃるのは霊能者の方みたいです。 
内容については当たらずとも遠からずな気がします。 
だとするなら、やっぱり除霊をする限り、ずっと相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃいけないということでしょう。
 
あと、「最初簡単にねじ伏せることの出来た相手が知らぬ間に実力をつけていて盛大に『しっぺ返し』をくらう」ってのは現実社会でもままあることです。
そういうのってイジメと同じで、ねじ伏せた方は忘れても、ねじ伏せられた方はずっと忘れないモノですからねぇ。
 
老子道徳経に「大怨(たいえん)を和すれば必ず余怨(よえん)あり。安(いずく)んぞ以(も)って善と為(な)すべけんや。」とあります。
「大きな怨みってのは表面上和解したように見えても必ず怨みの火種は残っている」ということです。
自ら好んで『怨みの火種』をあちこちに撒き散らす必要はないでしょう。
 
世の中には時に「チカラ尽くでも為さなければならない行い」というモノはあるかも知れません。
ただ、それが幾ら為さなければならないことであったとしても、為せば往々にして『怨みの火種』は残るものです。
ましてや「自ら進んで繰り返し行うような行為ではない」と思います。
それって『修羅の道』ですから!
 
 
 
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人間の世界の外側にいるとても大きな眼に見えない存在

一人の人間に見えてる世界なんて本当に小さなモノです。
ていうか人類という種の見ている世界ってのは人間が思ってるほど大きくはありません。
 
人間基準では大きいかも知れませんが、それはあくまで人間基準です。
人間を超越したもっと大きな世界の『モノの道理』が、人間のいうところの『世界の動き』といつでもどこでも一致しているとは限らないのです。
 
仮に蟻が人間並みの知能があったとしたら、蟻の見ている世界のスケールはせいぜい自分の住んでいる蟻の巣周辺くらいでしょう。
人間の単位でいう隣りの町内くらいでもそれを自分たちの世界として認識することは困難であると思われます。
 
で、例えばそこへ人間の子どもが来て、ジョウロで蟻の巣の入り口に水を撒いたら蟻の巣は大惨事になります。
そうしたら、頭のいい蟻の個体はそれを「これは世界の終わりの始まりの大洪水だ! カミサマの与えた試練だ!」とか言いだすかも知れません。
この蟻を人間に置き換えると実際似たようなことが「人間の世界という蟻の巣」にも起こってるんだろうなと推測出来るのです。
 
頭のいい蟻は蟻の巣へ水を撒いた人間の子を神と名付けるかも知れないです。
大洪水を起こした偉大なるチカラを持つモノとしてね。
 
そして、ジョウロで水を撒いたことについてああでもないこうでもないともっともらしい意味付けを行うのです。
「神は驕り高ぶった蟻世界に天罰を与え、世界を新しくされたのだ!」とかモノすご〜く重い意味を与えられるのです。
 
本当はただの「子どもの気まぐれ」だったりするんですけどねぇ。
とにかく蟻に人間の子どもの気まぐれな意思をちゃんと認識することは無理なのです。
 
同じように人間に人間よりずっと大きな存在の意図を把握することは出来ません。
出来ると思うのは「人間だけは他の生物とはちがう特別な存在だ」という思い上がりです。
 
人間は地球にとっては蟻と大差ない存在だと思います。
なので、地球は人間の知らないことだらけです。
 
人間はカミサマってのが大好きですが、この世界には人間が今まで一度もカミサマと認知したことがない『眼に見えない大きな存在』が山ほど存在します。
人間がこの世に現れる遥か太古の昔よりこの世界に居るモノたちです。
 
そういう『眼に見えない大きな存在』はこの世界の自然の中にひっそりと存在しています。
神とも呼ばれず、悪魔とも呼ばれず、精霊とも呼ばれず、天使とも呼ばれず、わざわざ人間と関係することもなくね…
 
そういう存在たちがこの世界の秩序を護っていたりします。
「人間を」ではなく、「この世界を」護っているのです。
 
人はそういう存在への畏れを持っていた方がいいと思います。
同時にそういう存在にはむやみに近付きすぎない方がいいとも思うのです。
伊勢神宮とかの木にやたらベタベタ触る人みたいにね…
 
 
 
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想像力の欠如と心の視野の狭さ

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。
 
でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。 
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。
 
先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。
逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。
想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。
 
先ほども申し上げたように想像力とは一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。
その働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。 
他人のものはもちろんそのうち自分自身の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。
その意味で鈍感さとは人間らしさを失う第一歩です。
 
最近つくづく感じるのが以上に述べた想像力と鈍感さのことです。
現実の社会で人間の想像力の欠如と心の鈍感さを日々否応なく見せつけられるからです。
 
非常時には無知による恐怖や不安に負けてしまう人が大勢出てきます。
マスコミなどにも、ことさらそれを煽る風潮があります。
 
不確かな情報や煽動に踊らされやすいのも慮るチカラが弱いせいだと思います。
慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。
心の視野の狭さとは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの『感覚』が十分感じられなくなった状態のことです。 
 
心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。
見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。
 そして、そのマイワールドこそ『世界』そのものだと勘違いしてたりします。
 
以上のような話を以前に書いたことがあります。
最近その『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドにピッタリ当てはまるような文章をツイッターで拝見しました↓
「男子と女子では平均して男子のほうが身長が高い」と書いたら「自分は女子でも男子より背が高いからそれはウソだ」と言ってくるようなコメントつきRTをたくさん見せられる。
これって半径3メートルのマイワールドどころか、『自分』の肉体の範囲だけしか視野に入ってない感じですよねぇ…
「平均」って言葉も耳に入ってないみたいですし…
 
で、ここからが本題です。
もし最近心の視野が狭くなってるなぁと感じたなら、とりあえず間を空けることです。
時間な間、空間的な間、精神的な間、ケースバイケースでしょうが、一呼吸空けるとそれだけで少し心が落ち着いて視野が広がるでしょう。
 
心の視野を広げれば自ずから想像力が増します。
そして、想像力が増せばその分心に余裕が出来るでしょう。
想像力は無いよりあった方が、より心が楽になります。
 
 
 
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「正しい!」の比べっこの果てには不毛の荒野が待っている

目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 
みんな自分が正しいと思っているからです。 

もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 
万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。

知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、それを他に対して行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 
つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 
 
自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少します。
 単純に考えてみてください。
「自分が正しい! 自分が正しい!」と何時も考え続けているような人が他人に対して寛容でいられるかどうかを。
 
『正しいの比べっこ』が先鋭化すればそのうち必ず所謂『魔女狩り』が始まります。
それは、より強力な『正しい!』を手に入れた者たちが『正しくない者』たちに対してに問答無用で正義の鉄槌を振りおろすようになるってことです。
 
その者たちにとっては正義の鉄槌を振り下ろさないことはむしろ悪なのです。
もちろん「その人たちがそう信じているマイワールドの中では」ですがね…
 
つまり、『正しいの比べっこ』が煮詰まった先の先には偶然ではなく必然として『殲滅戦』が存在するのです。
ここでいう『殲滅戦』とは「自分が間違ってると思うものを力尽くで根絶やしにしようとする行為」のことです。
 
以上のようなことをこれまでブログで繰り返ししつこく述べてまいりました。
最近似たようなことを書いている文章を拝見しました↓
私は昔から「表現規制派が狙っているのは絶対戦争でこちらを殲滅する気で殴ってきているのだから、安易な妥協はすべきでない」ということを申し上げているのですが、10年前は表現規制反対派に属する方からも過激派扱いされてました。ただ、ここ数年は風向きが変わってきたように思います。
表現規制派ってのは悪書追放運動とかしてそうな方々のことかと思います。
この方によるとそういう方々の目的が「自分らの正義による表現以外は絶対認めない! それ以外の表現をする者は断固根絶やしにする!」ってことだということです。
 
これは『正しいの比べっこ』が煮詰まった先の先には偶然ではなく必然として『殲滅戦』があるというのと同じだと思います。
別に表現規制に限らず、色んなところにそういう摩擦は起こっています。
で、みんなが『正しいの比べっこ』をやめなければこれからも殲滅戦は続くのです。
 
『正しいの比べっこ』は勝った人間も負けた人間も不幸にします。
その果てには不毛の荒野が待つばかりです。
 
 
 
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所謂『魔境』と霊能力

主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。
簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。
しかも、本人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。
魔境に入った人というのは十中八九浮かれています。
ここでいう「浮かれている」というのは高揚感に支配された状態のことです。
 
「神秘体験をする→価値観のコペルニクス的転回が起こる→高揚感に支配される」という道筋を辿る人って少なくない気がします。
高揚感に支配されると浮き足立ちます。
浮き足立つと現実的な感覚を失って突拍子も無いことでも簡単に信じるようになるのです。
 
そんな魔境の入り口としてよくあることの一つに「声なき声が聞こえる」ってのがあります。
耳で聞いてるわけではなく、脳に直接入ってくるみたいに聞こえるパターンが多いです。
しかも段々ハッキリ聞こえ出したりします。
 
それでコロッとヤラレてしまう人々が世の中には随分と多い気がします。 
ここでいう「ヤラレてしまう」というのは人外のモノの用意したマヤカシに絡め取られてしまうことです。
 
以上のようなことを以前に何度か述べてまいりました。
「そんな人が本当に今もいるのか?」って思われる方もいらっしゃるでしょうが、いらっしゃいますねぇ。

「私が霊能者になったのは、会社を首になり、〇〇教で修行して、そこで色々あって神の啓示を受けたからです。」大体こんな意味のことを書いておられる文章を最近拝見しました。

それって大昔から一番よくあるタイプの魔境体験のパターンですね。
「人生における大きな挫折」→「宗教との出会い」→「修行中に神秘体験をする」→「隠されていた霊能力が発現」みたい感じで…
 
前提としてこういう人はまず特別なチカラが欲しいと渇望しており、その状態で宗教団体に行ったわけです。
その上で宗教団体に棲まう人外のモノと波長があったため神秘的な体験をしてしまい、取り込まれてしまったということでしょう。
 
この場合の所謂霊能力ってのは人外のモノ由来ってことです。
ご本人はきっと神さまがご自分に特別に与えてくれたチカラであると考えているのでしょうがね…
 
で、その人外のモノ由来の霊能力に頼れば頼るほど『ごく普通の日常感覚』からズレていきます。
要は「我こそは類稀なる霊能者であ〜る!」という中二病的な万能感に支配されるってことです。
まぁ、それこそが魔境なんですけどね!
 
 
 
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所謂『御利益』と祟りはウラとオモテ

2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』ですからはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。
向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。
また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね…
 
とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。
復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓
 
2017年1月の記事
今の世の中では少なからぬ人々が人外のモノのチカラに頼っています。
そういうモノにたよることに恐れも畏れも乏しい感じです。
 
眼に見えない世界のチカラを借りて願望を実現しようとすることに違和感を感じない人が多いってことなのかも知れません。
違和感どころか良いこと尽くめだと思ってるんじゃないかという気もします。
「神頼みなんだから悪いことなんてあるわけないでしょ!」ってな感じでね…
 
そもそもの話『神さま』っていうのは何を指してるんでしょうかね?
ザックリ言えば日本でいわれる神さまってのは『眼に見えないモノを全部合わせたアレヤコレヤ』の呼称のことだと思いますす。 
 
そのアレヤコレヤの中には当然あまり良からぬモノも含まれています。
あまりというのは随分割り引いた言葉ですけどね…
 
一般的な言葉でいえば祟り神や憑き物の類いまで『神さま』と呼ばれていたりします。
そういうモノも祀れば御利益をもたらすという考え方もありますしね。
 
っていうか現世利益みたいなものを頻繁にもたらすようなら眉に唾付けといた方が無難です。
大体が物の怪の類いですからねぇ…
 
それが物の怪なら御利益には御礼が必要です。
物の怪と人間は基本ギブアンドテイクの間柄ですからね。
 
なので、祀らなくなったから祟るというならそれも物の怪です。
人外のモノが祟るということ自体ギブアンドテイクが上手く機能しなくなった結果なのでね。
ちなみに亡くなった人間が祟るというのはこのギブアンドテイクとはまた別のスジの話です。 
 
つまり、祟りと御利益はウラとオモテの関係にあります。
御利益だけ貰い放題という『やらずぶったくり』はないのです。
 
人外のモノにチカラを借りるというのはそういうことです。
人間だけに都合の良いものではないということです。
当たり前っちゃ当たり前ですけどね…
 
光あるところには闇があります。
それは、御利益のあるところに祟りがあったとしても何ら不思議はないということです。
 
 
 
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所謂一つの『単純明快さ』に魅入られるということ

今の世の中にはテクニカルにチョチョイのチョイで心や身体を支配出来ると信じている人々が大勢いらっしゃいます。
『インスタント』大好きと申しますか…
 
ここでいう『インスタント』とは何時でも何処でも何にでも単純明快な答えを求めようとする心の持ちようのことです。
テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね…
 
一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発想です。 
スピード感と臨機応変さが命みたいなね…
 
で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。
単純明快さが第一なんですよね。
 
料理で言ったら「じっくりコトコト煮込む」みたいな作業は大嫌いなのです。
ていうかそういう作業は不必要だとさえ思ってるのかも知れません…
 
『インスタント』なやり方には一つの大きな欠点があります。
それは必然として自分の中や世の中にある『面倒くさいややこしい部分』を端折る方向へ向かっていくことです。 
一言でいえば「拙速に流れていく」のです。 
 
拙速に流れれば流れるほどマヤカシに呑み込まれる可能性は高くなります。
眼に見えない世界のマヤカシであれ、現実の社会にあるマヤカシであれね…
 
このブログではこれまで何度も上記の『インスタント』というモノについて申し上げてきました。
今まさに拙速に流れ、マヤカシに呑み込まれる人々が大量に発生するご時世になっています。
 
最近『インスタント』な心の在り方ってのは時代を見極め、人を見極めるための大きなモノサシになると改めて感じています。
新型肺炎の流行にともない、目の前にある曖昧模糊とした苦しみを単純化して安心を得ようと試みる人がワラワラと現れているからです。
例えばこんな風に↓
新コロの危険性など、花粉症以下だ!
根拠? オレの主観。
念のために申し上げるとこれをお書きになったのは『中学生』などではありません。
アカデミズムを名乗り、決して若者とはいえない年齢に達した方のお言葉なのです。
色んな意味でビックリですよねぇ…(ー ー;)
 
個人的にはこういうのがインスタントの極みだと思っています。
「とにかく言い切ってしまえば勝ち! 一切異論は許さん!」みたいなところがね…
 
でも、インスタントが好きな人の中には、こういう『乱暴でキッパリ言い切る言葉』に魅せられてしまう人って結構居そうなんですよねぇ…
『単純明快な答え』としてね…
個人的には「そっちへは行かない方がいいのになぁ」ってつくづく思いますけどねぇ。
 
 
 
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