例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。
チカラ比べには終わりがありません。
いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。
眼に見えないチカラの話ですがね…
よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。
そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。
そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。
常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。
返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血』くらいは浴びるかも知れないです。
そういうことを長く続ければ続けるほど所謂『返り血』を一滴も浴びない可能性は限りなくゼロに近付いていくでしょう。
そこにあるのは『斬った張った』の殺伐としたココロの世界です。
やってやられて、やられてやって…何処まで行ってもキリがないのです。
最後に行き着くのは「相手を消し去るか、さもなくば自分が(除霊に失敗して)花と散るか」二つに一つの『修羅の道』なのでしょう…
以上のようなことを今まで繰り返し述べてまいりました。
で、最近またそれを肯定するような文章を拝見したのです↓
浮遊霊、地縛霊とかなら除霊なんかしたらパワーアップして何度でも戻ってくるねん。そのパワーアップが除霊出来ないレベルになった時が 『詰み』になる。
書いてらっしゃるのは霊能者の方みたいです。
内容については当たらずとも遠からずな気がします。
だとするなら、やっぱり除霊をする限り、ずっと相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃいけないということでしょう。
あと、「最初簡単にねじ伏せることの出来た相手が知らぬ間に実力をつけていて盛大に『しっぺ返し』をくらう」ってのは現実社会でもままあることです。
そういうのってイジメと同じで、ねじ伏せた方は忘れても、ねじ伏せられた方はずっと忘れないモノですからねぇ。
老子道徳経に「大怨(たいえん)を和すれば必ず余怨(よえん)あり。安(いずく)んぞ以(も)って善と為(な)すべけんや。」とあります。
「大きな怨みってのは表面上和解したように見えても必ず怨みの火種は残っている」ということです。
自ら好んで『怨みの火種』をあちこちに撒き散らす必要はないでしょう。
世の中には時に「チカラ尽くでも為さなければならない行い」というモノはあるかも知れません。
ただ、それが幾ら為さなければならないことであったとしても、為せば往々にして『怨みの火種』は残るものです。
ましてや「自ら進んで繰り返し行うような行為ではない」と思います。
それって『修羅の道』ですから!
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