『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

『ドヤ顔素人さん』にならないために大切なこと

別にその道の専門家でも何でもないのだけれど、「私には専門家以上に高い見識があるんだぞ!」的な雰囲気をプンプン漂わせてる人を個人的に『ドヤ顔素人さん』と呼んでいます。 
最近この『ドヤ顔素人さん』をお見かけすることが多くなりました。 
多分SNSなどでその人のおっしゃるところの『見識』を発表する機会が増えたからだと思います。 
 
そのスタイル上『ドヤ顔素人さん』ってのは大抵社会的な疎外感を強く感じてますので、既存の権威や社会制度などに強い反感を持っている場合が多いです。 
「オレの言うことが正しいのに、世間の奴らはみんな認めない( ̄^ ̄)」的なね。 
 
だから、内に秘めた怒りのエネルギーも強いです。 
よって、言葉遣いも自然と荒々しくなります。 
 
どんな分野であれ、とにかく決めつけが激しいのが『ドヤ顔素人さん』にありがちなクセです。 
なので、丁寧に説明しないと相手は分からないかも知れないなどということは考えずに「遅れずについて来い」方式で物事を語ります。 
 
そういう人は「お前より自分の方がモノを知ってるんだからな!」って感じのクセもすごいです。 
「オレの言ってることはいつも正解だ!」感も強いです。 
 
で、2020年からの新型肺炎の大流行によって社会が不安定化した結果、今度は健康志向の『ドヤ顔素人さん』が大量発生したのです。 
世の中のあちこちに「新型コロナ問題の真相・本質はこれだ!」と宣う方々がワラワラと出現したのです。 
 
現実生活とあまり関係ないような分野であれば幾ら『ドヤ顔素人さん』ぶりを発揮しても『マニアのご愛敬』ってことで済むでしょう。 
でも、健康やら医療やらって分野でそれを発揮するのは全くシャレにならない話です。 
 
健康関係においても、もちろん『個人』の範疇であれば、「何を信じて何を実践されよう」とそれぞれの自由です。 
ただ、それを他人や社会へ拡散しようするのであれば、また話は違ってきます。 
下手したらそれは人の『生き死に』に直接関わることですのでね… 
 
天変地異や疫病が起こり、人々の不安が溢れる時代には『デマ』や『あやふやな情報』が出回るってのは世の常です。 
ましてや今のご時世、インターネットとかで『情報』は燎原の火のように広がります。 
だからこそ気を付けないと誰であれ、あっという間に『ドヤ顔素人さん』の仲間になってしまいかねません。
 
新型肺炎の件だけに限らず、最近の「専門家をむやみに軽んじる風潮」ってのは良くないなぁと感じます。(もちろん根拠のある批判は別として)
それによって、分かってない人々が分かってないまま軽挙妄動する可能性が高まるからです。
 
なので、「不確かな情報には踊らず踊らされず、眉に唾をつけ過ぎるくらいつけて、日々暮らすくらいでちょうどいいのかな」と思う今日この頃です。 
それと同時に「分からないことに対してはむやみに結論を急がず、先入観だけで突っ走らない」ってのも『ドヤ顔素人さん』にならないためには大切なことだと思います。
 
 
 
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所謂『憑かれた人』にありがちな二つの特徴

『憑かれる』といっても普通オカルト映画か何かみたいに異常でド派手な変異が目の前で分かりやすく起こるなんてことはそうそうありません。
所謂『超常現象』的なことがもし起こったとしても気のせいに出来る程度のことが多いでしょう。
 
どちらにしろ憑かれるって現象は最初その人の内側からジワジワとゆっくり浸食されていくカタチで進行します。
水の中にぽたぽたと墨汁を垂らしていくようにね…
 
透明な水の色は墨汁の闇の色に少しずつ少しずつ染まっていきます。
浸食された部分は自分では無いモノに差し替えられていくのです。
 
差し替えられた部分は元からある部分と比べてもよくよく観察しないと違いが分かりません。
よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いが分からないくらいの速度で憑依するモノの色に染まっていきます。
 
差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかにオカシク見えるようになります。
元々持っていた『その人の色』では無くなるからです。
 
でも、大抵の場合そこまで行くには相当な時間が掛かることでしょう。
一瞬で何かに入り込まれるなんてことは早々ないのです
 
あったとしたら途轍もなく強力な人外のモノでしょう。
そんなモノに憑かれたら普通の人間は精神的にも肉体的にもあっという間に壊れてしまう気がします。
 
以下憑かれている人の特徴を簡単に申し上げます。
外見的には眼を見るのが一番わかりやすいでしょうねぇ。
眼の色というか、もっと言えば瞳の奥の光というか揺らめきのようなモノをです。
 
分かりやすい例としてはギラギラした光が挙げられますが、妙にキラキラした強い光の場合もあります。
何れにしろイヤな感じのヌルっとしたモノをその眼の奥に感じたら要注意です。
中々言葉にしにくい感覚なんですけどね…
 
細かくいえば目つき以外にも色々とあるでしょうが、ケースバイケースで類型化しにくいので、相手の顔を見た時の第一印象を大切にするといいかと思います。
何回も会ってる人でも印象が変わってることもありますので、その時々の第一印象をね!
 
もう一つの特徴に言動・行動がびっくりするほど荒々しくなるってのがあります。
ちょっとカッとして言葉や行動が荒くなるってことは誰でもあることですが、そうではなくて常日頃から周りの人がドン引きするほど荒々しい言動・行動をするようになるのです。
例えば人として信頼感を失うレベルの暴言をたびたび吐いたり、DVのような行為をするようになったりってことです。
 
もちろん上記の目つきの変化や荒々しい言動・行動のすべてが憑依の印ってわけではありません。
憑かれるとありがちな特徴としてご参考にしていただければ幸いですm(_ _)m
 
 
 
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この世には「為せば成ること」と「為しても成らないこと」があるのです

このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。
ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方です。
 
この根性論の仲間に「問題ってのは自分で作ってるだけなんだよ!」的な『全ては気持ちの持ちよう論』があります。
これはいつでも「敵は我にあり!」っていう考え方が先に立ってる感じです。
「自分さえしっかりコントロールすれば何でも解決出来るのだ!」という前提が最初にあるのです。
 
で、その『全ては気持ちの持ちよう論』の発展形が『自己責任論』です。
ここではそれをスピリチュアル系『自己責任論』とでも申し上げておきます。
 
ここでいう『自己責任論』というのは「やると心に誓って物事に当たれば、どんなことでも出来ないことはない。」という前提からの「出来ないのは出来ない奴が悪いのだ」という考え方のことです。 
つまり、「やり方さえ間違わなければ何でも出来るのが当たり前!」という発想なのです。 
 
この「何でも出来て当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。
ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです。
 
逆にいえば、物事に完璧な調和と整合性を常に求めようとするってことです。
また求められるものだと信じているのです。
 
所謂自己啓発系の人の多くが上で書いたような『予定調和の世界』をなんとな〜く信じてるような気がするのです。
例えばこんな風に↓
やりたい事があるならやるのです。何が何でも出来る方法を探すのです。出来ない事を、人や環境のせいにしないのです。出来ないと思ってるのは自分です。やらないと決めてるのも自分です。誰かや環境が絶対にやるなと言ってる訳じゃないはずです。だからやってみるんです。きっと方法は見つかります。
まぁ、自己啓発系に『ありがちなお話』です。
先の自己責任論のところで述べた「やり方さえ間違わなければ何でも出来るのが当たり前!」という発想そのモノですよねぇ。
で、その根拠は世界は限りなく予定調和しているというある種の信仰みたいなモノなのです。
 
でもね、これって一つ間違えば自己否定の泥沼にハマり込んでしまう考え方なんですよね!
もし失敗した場合それは全部自分が至らなかったせいだって思考に構造的に陥りやすいからです。
 
失敗した時でも、どこかに逃げ場があるような心の在り方のほうが気楽に生きられるんじゃないでしょうかねぇ?
何でもかんでも物事の辻褄を合わせようとするとそのうち息が詰まってしまうと思いますよ…
 
 
 
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無知の知と「眼に見えないモノをナメる」ということ

ヒーリングなどしておりますと様々なエネルギーに出会うことになります。
日々発見と言っても過言ではないでしょう。

いわば不可思議の連続です。
全てが分かるようになることなど一生ないと思います。

眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。
発見がそこら中に転がっている世界です。

アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですよね。
多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。

我々のいるのはそういう世界だってことです。
そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる」ってことです。
要は人間の中身は無知で出来ているってことです。
 
もし眼に見えないモノと対峙することになった時に自らの無知を認識出来てなければ危険な局面を迎える可能性はそれだけ高まります。
知ってるつもりになればなるほどアチラさんのマヤカシに引きずり込まれる確率が高まるからです。

神秘現象に対して人外のモノが人間の側が望むもっともらしい理由を与えることは簡単です。
大抵はその人外のモノ自身が仕掛けた現象だからです。
所謂マッチポンプってヤツです。

ここでいうマッチポンプというのは例えば「何処かの宗教の信者の人に不吉なことが続けて起こる→そこの神さまに何とかしてほしいと祈る→状況が急に好転する→神さまのお蔭だと信じる」みたいな筋のお話です。
信者さんの中では「神さまのお蔭」という見事なオチが付くのです。
 
それで結局何が言いたいかというと「知ったかぶりする人ほど自分の知らないことに対してナメて掛かる」ということです。
「そこが危険なんですよ!」ってことなのです。
まぁ、危険でも何でも選ぶのはそれぞれの自由ですけどね…
 
スピリチュアルな事柄に携わっていても所謂霊的なことに関する危険性に対してひどく鈍感な人っていらっしゃいます。
多分ご自分があまり危険な目にあったことがないので、「元々危険なことなどどこにもないのだ」と勝手に決めつけてるのかも知れません。
一言でいえばそういうことに対して「チョロいもんだ!」とナメて掛かってるわけです。
例えばこんな風に↓
よくテレビの番組で霊媒師みたいな人と出てくるような霊のシーンと、実際の霊は違います。そんなに怖いものでもないし、霊も困っているという感じですね。
この方は百発百中でお祓いの出来るスゴい霊能者 (自称) らしいのです。
で、霊は怖くないみたいなお話をされています。
 
その方の中ではそれが正しいのでしょう。
自分が見えている範囲だけが世界だと思ってる限りにおいてはね…
別に霊的なことに限らず、自分の見えてる部分だけを「これが真実のすべてだ!」などと思い込むのは本当に危険なので、そうならないように気を付けた方がいいと思いますよ。
 
 
 
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荒々しさが生む『快感』と『穏やかで温かな心』への道

どんな人の心にも穏やかさとともに荒々しさかあります。
それはコインの表と裏みたいなものです。
 
荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。
例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。
 
だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。
荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。
 
でも、荒々しさを生きるための推進力として継続して使い続ければ無理が出てきます。
荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです。
 
怒りのエネルギーを燃やすって、つまりはアドレナリンの沸騰みたいなモノを求めてるんです。
それは生きることの推進力として、アドレナリンの沸騰みたいなモノを常に『燃料』としてるってことです。
 
別の言い方をすれば火事場の馬鹿力的なモノを絶えず期待してるってことです。
緊急事態だからこそ爆発的に作用する一過性のチカラを日常の中でも継続的に使おうと欲ばるのです。
 
そうなると、いつも沸き立つような想いをしなければ生きてるような気がしないなんてことになりかねません。
非常時のイレギュラーでなら良いのですが、それをいつでもどこでも求めだすと厄介です。
 
絶えず怒る対象を見つけておかなければなりません。
そういう人は怒り続けなければモチベーションが一挙に下がってしまいますので。
 
怒りのエネルギーを向ける相手を鵜の目鷹の目で探す毎日が始まります。
探せたらその人間なり集団なりに脊椎反射的に攻撃を加えていきます。
 
多くの場合相手は特に反撃しては来ません。
理不尽な攻撃性を見せるような人に対して本気で相手をしたいと考える人はそう多くはないからです。
 
しかし、反撃を受けないとそういう人は『自分の正当性』が証明されたからだと思い、自分の荒々しい意見を押し通すことに『快感』を覚えるようになります。
そして、そのうち「荒々しさを押し通しても構わないんだ! いや、むしろ自分の荒々しい正しさは大いに必要されているのだ!」とさえ感じだすのです。
 
だから、そういう類いの荒々しさは大抵ドンドン加速度を付けながらエスカレートしていきます。
高揚感と万能感に包まれながらね…
 
でも、そういう状態ってのは、精神的にも波動的にも『いびつに尖っていてアンバランス』です。
簡単にいえば「色んな意味で危険だ」ってことです。
穏やかで温かな心を取り戻すことこそが「その危険」から逃れる一番の近道だと思います。
まぁ、荒々しい快感に酔ってる人は中々気付かない道ではありますがね…
 
 
 
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コダワリを持たない方がいい波動的な理由

波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ〜ンと重くてジトッと暗いのです。 
別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 
 
波動のレベルを上げる方法自体は簡単です。 
現在の自分より波動のレベルが高いと感じられる人・物・場所を日頃からコツコツ選んで親しむように心掛けるのです。 
波動のレベルの高いモノを見極めるためのコツは、出来るだけ心をクリアーにして己が『体感』を大切にすることです。 
 
具体的には、フワッと軽くてスカッと明るく感じるモノや人に親しみ、ドヨヨ~ンと重くてジトッと暗く感じる場所や出来事を出来るだけ避ければいいのです。 
或いは何時も穏やかで温かくあろうと心掛けて、荒々しく冷たい態度は極力取らないようにすることです。 
 
波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何度か書いてきました。 
ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上がるというのは物事に対するコダワリが自然と弱まって「まっ、いいかぁ」と思えるような場面がコンスタントに増えていくことを指しています。 
それは「どうしてもこうじゃなくちゃならない!」という想いが薄れるということでもあります。 
 
言い方を変えれば心の自由度が上がるということです。 
人間「これしかない!」って思うほど他のことは見えなくなりますので。 
 
コダワリが強くなれば大抵不平不満・恨み・怒り等の負の感情が大きくなりがちです。
なぜなら、自分のコダワリ通りに物事が進むことなんて少ないからです。 
 
「なんで思い通りにならないんだ!」っていう怒りや恨みが肥大化します。
その怒りや恨みは心の毒になってその人の心の奥底に沈殿していきます。
ネガティヴで自虐的な想念エネルギーとしてね!
 
もちろん誰にだって大なり小なりコダワリはあります。
コダワリはある意味その人に生きるための心の推進力を与えるのも事実です。
 
そういう意味でコダワリは絶対悪などでは決してありません。
しかし、それでも美化しすぎるのは禁物です。
先ほども申し上げたように、コダワリは心に毒を生むからです。
 
コダワリを必要以上に忌み嫌う必要はないですが、まるで良いモノのように扱うのも如何かと感じます。
ていうか波動のレベルが高くなれば自然とコダワリも減るので、コダワリの波動のレベルがあまり高くないのは確かです。
 
結局波動のレベルを高くする方向へ向かって、その自然な流れに任せるのが一番無理がありません。
そうすればその分心が楽になりますので。 
まぁ、それが人を楽にはしないと知った上で敢えてコダワリ続けるってのも『人の自由』でしょうけど…
 
 
 
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「宗教は宗教、眼に見えない世界は眼に見えない世界」って話

「お坊さんが法要などで作法に則って読経をしたりマントラを唱えたりすれば亡くなられた方は『成仏』をするものだ」と一般的には考えられています。
本当にそれで成仏出来るのでしょうか?
多分多くの場合それは難しいんじゃないかと思います。
 
どうしてそう思うのかといえば先ず第一にヒーリングなどしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくないからです。
珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね…
 
その多くは別に卒塔婆一つも立てられない行き倒れの無縁仏ってわけではない気がします。
無縁仏でも一応寺には納められてたりしますしね。
 
どう考えても読経も法要も一度たりとも受けてないって人の方が少ないんじゃないでしょうか?
要するに「回数の多いか少ないかはともかくとして、所謂成仏していない人であってもその大多数は仏教的な儀式としての弔いは一度くらいはされてるだろう」ということです。
 
であるなら成仏している人の数が明らかにもっと多くないとオカシイのです。
「お坊さんとして修行された方の読経や儀式に亡くなられた人々を成仏させるだけのチカラが十分に備わっている」という前提に立つならばですが…
 
まぁ、「5回や10回読経したところでその程度では簡単に成仏するようにはなっていない!」っておっしゃるのなら、そっちの方がよっぽど大問題かも知れません。
「葬式や法事を何年かおきにしたって大して意味がない」って自ら暴露してるのと同じですからね…
 
それにヒーリングしている過程で今まで成仏していないお坊さんたちと少なからず出会ってきてるってこともあります。
当たり前ですが、お坊さんってのは毎日読経などの儀式を繰り返してますよね?
 
もし仏教的な儀式そのものに魂を浄化するようなチカラがあるなら、とっくの昔にご自分たちがキレイになってなくちゃオカシ過ぎるわけです。
何十年も読経やらなんやらを日課にされていたはずので…
 
以上のようなことを以前に何度か申し上げたことがあります。
宗教的儀式と所謂成仏はあんまり関係ないよって話です。
頭で考えた理屈ではなく、実体験に基づく事柄としてね。
 
ただ、世の中には今も眼に見えない世界の事象を宗教的知識によって解釈しようとする人が一定数いらっしゃいます。
仏教に限らず、亡くなったヒトのことに限らずです。
正直それもあんまり関係ないって思うのです。
 
もちろん宗教を宗教としてその枠内で幾ら語られてもそれは自由です。
逆にスピリチュアルな人々が間違った宗教的知識を広めるのは許されないでしょう。
 
しかし、宗教的知識や儀式によって眼に見えない世界に何らかの現象を引き起こせるかといえば望み薄であろうと感じます。
例えば聖書の一節を唱えたり、聖水をかけたりすれば所謂悪魔が祓われるとかって話のことですが…
 
要するにここで言いたいのは、「宗教は宗教、眼に見えない世界は眼に見えない世界で別々に考えた方がいいよ」ってことです。
「混ぜるな! 危険」ってことなのです。
 
 
 
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「自分らだけが世界の真実を知っている」という選民感

「自分たちだけが本当のことを知っている! 世の中の99%は無知な愚か者である!」とかいう選民臭の強い考え方を持った人々がこの世界には結構いらっしゃいます。
そして、そういう人は往々にして「本当のことを知る者は認められない!」という悲劇のヒーロー的な陶酔感を感じているのです。
 
例えばその『99%の人が知らない世界の秘密』とやらを教えてくる人がいたと仮定しましょう?
大抵な人はまず「これって本当のことだろうか?」と半信半疑になると思います。
そこで「いやぁ、よく知らせてくれました! 目から鱗です!」とは中々ならないんじゃないでしょうか。
 
で、その半信半疑な人を見て「世間の常識こそ間違ってるんだよ! 覚醒せよ!」みたいな感じで『啓蒙』しだしたらどうでしょう?
周りの人達は先ずドン引きしますよね…
 
それでもなお「オマエら、何にも分かってないんだ! 真実を分かれよ!」なんて言い張るなら相手からは憐れみの視線を受けることになるでしょう。
ただ、そういう人たちはこの憐れみの視線の地点から出発して、「ひょっとして自分は間違ってるんじゃないだろうか?」と疑ってみることもなく、「自分だけが正しい!」を信仰の域にまで高めてしまうのです。
 
ここでいう信仰というのは実証とは反対の立場を取ることです。
実証ではなく、先ずは「自分が正しい!」という結論有りきで思考が始まるのです。
 
その際相手が何人いようと関係ありません。
99%の人が間違ってると幾ら言おうと自分の考えが『真実』なのです。
 
そこまで行くとむしろバッシングされればされるほど自分の正しさを確信してしまいます。
「そこまでみんなが否定するからには正しいに決まっている!」という倒錯した信念が沸き起こるのです。
 
で、その元となってるのは「自分らだけは特別だ!」っていう選民思想なのです。
厳密には選民思想というより選民感ってことになるのでしょう。
 
思想っていうより感覚です。
その元となってるのは願望ですが…
 
「オレはオマエらと違うんだよ!選ばれた人間なんだよ!」という風に思い込みたい願望です。
そして、その願望の延長線上にあるはずの圧倒的な優越感を求めているのです。
 
だからこそ「自分が世界から遊離しているのではない! 世界が自分から遊離しているのだ!」という風に考えたがるのです。
劣等感の裏返しとしてね!
 
例えばこんな風に↓
例えば電車に乗ったとき。自分以外は全員マスク。孤立無援だ。しかし、自分が乗ったことで100%を99%にしたわけだ。「全員」ではなくなったわけだ。気休めかもしれないけど、誇っていいことなんじゃないかな。
この方は「新型肺炎はデマだ」論の方らしいです。
新型肺炎はデマなんだからマスクをすることに意味はない! 同調圧力には屈しないぞ!」ってことのようです。
 
この手の悲劇のヒーロー的な陶酔感ほど始末の悪いものはないと思うんですよねぇ(ー ー;)
「ご自分がすごく有益なことをしている」ような気分になっているので…
 
 
 
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人を見る目・モノを観る眼

以前にこんなことを書きました。
 
散々繰り返し痛い目にあってやっと少しだけ骨身に染みて『分かる』のが人間というものです。
頭の中で考えただけでスルスル何でもピンと来るほど人間という生き物は出来が良くないんじゃないでしょうかね〜。
 
「ぼぼノーリスク・ハイリターン」みたいなのを狙ってる人ほど『人間』という存在を過信している気がします。
「頭で考えて知識を積み上げさえすれば何とか出来る」と考えるのです。
 
繰り返し申し上げますが、人間はそんなに出来のいい生き物ではないんじゃないでしょうか?
端から出来ないことをやろうとすればそりゃ心も迷うってものです。
 
痛いのは誰だって嫌ですし、苦しいことは一つも経験したくありませんよね。
でも、何でも体験しなければ分からないことってのはやっぱりあるんですよね。
それでようやく体感が得られるのです。
 
体感を得てやっと心底ピンと来るようになります。
骨身に染みるからです。 
骨身に染みなきゃ人間『本当のことの根っこ』には辿り着かないんじゃないでしょうか?
 
世の中には「幽霊なんているわけない!そんな非科学的なことは信じない」っていう人がいらっしゃいます。 
所謂『幽霊否定派』の方々です。
 
何を信じるか信じないかはそれぞれのまったくの自由です。
思想信条の自由を否定するつもりはありません。
ただ、そういう人々の多くは体感を持ってそう感じてるのではなく、世間の多数派の理屈にとりあえず乗っかってるだけのように私には見えます。
 
別に幽霊に限らず、世間の常識とやらに囚われて体感から遠ざかるなら、『分かる』ということからも同時に遠ざかってしまいます。
骨身に染みて何かを知ることが乏しいからです。
 
例によって例のごとく独断と偏見ではありますが、「頭の中だけで考えた話か?それとも体感を得た話か?」は人の話を判断する時に非常に大きな要素となります。
「その人がどれくらい体感のある話をされてるか」が人を見る上ですごく大切だってことです。
 
特に眼に見えない世界に関してはそうです。
その人自身の体験を本とかからの借り物でないその人の言葉で語る人は傾聴に値すると感じます。
 
逆に自前ではない情報を取ってつけたような流行り物の言葉などで語る人はそれだけで三割引だと思います。
幾ら有益な情報を弁舌滑らかに聞きやすい形で述べていてもです。
 
眼に見えない世界はもとより、目に見える現実社会においても、その人が「どれくらいご自分の血肉になった言葉で語っているか」に重点を置いて見ていると、人を見る目が少しは変わったりするんじゃないでしょうかねぇ。
今の世の中には、幾多の煌びやかで見慣れない言葉が溢れていますけど…
 
 
 
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自然の蟲と呪詛の蟲

2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』ですからはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。
向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。
また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね…
 
とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。
復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓
 
以前から蟲というモノについて何度か述べてきました。 

ここでいう蟲というのは眼に見えないイモムシか何かのような黒くてモヤッとした不定形のエネルギー体のことです。

 

蟲は人が直接発するエネルギーではありません。

物の怪やオニなどの類いともまた異なっています。

 

大概は澱んだエネルギーが自然と集まり凝り固まって出来たモノのような気がします。 
ただ、オニや物の怪ほどガッチリと出来上がったモノではないのは確かです。
 
上で「自然と集まり凝り固まって出来たモノ」と申しましたが、最近はなんだかそれだけではない感じがします。
ある種の呪詛から溢れ出したエネルギーがモヤモヤと集まったようなモノも少なくありません。
 
ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的な意味で眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。
マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノも含みます。 
一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m
 
呪詛のエネルギーの残飯のようなモノで出来上がった蟲が世の中のあちこちに漂っている感じがするのです。
漂ってたモノは何処かのエネルギー的な澱みにたどり着き溜まっていきます。
その溜まったモノがまた新たに他の良からぬモノを引き寄せ発酵し、それを繰り返すことでオニとかに変化するなんてこともあるでしょう…
 
そういう意味ではこの湯垢のように溜まった呪詛の蟲は厄介です。
一つ一つにはそれほどの強烈じゃありませんが、たくさん集まり熟成すれば場の澱みに結構な悪影響を与えるモノであるのは確かですので…
 
実際すでにそうなっている場所もなきにしもあらずのような気がします。
単なる杞憂ならその方がいいのですがね…
 
以上は2016年10月の記事です。
呪詛の残飯のようなモノで出来上がった蟲ってのは今日においてはもっと増えてるように感じます。
人の世に怒り・恨み・妬みなどの想念エネルギーが増えた証拠でしょう…
一日も早く蟲が減るといいなと思う今日この頃です。
 
 
 
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