『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

体感のない理屈は心を迷わせる

2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 

向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 

また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… 

とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 

復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓


体感がない机上の知識というのは中々危ういものです。
所謂スピリチュアル〜な世界にはそういった知識が溢れているように見えます。
まぁ、溢れているのはスピリチュアルな世界だけではないでしょうがね…

例えば料理でレシピをたくさん知っている人がいるとします。
そのレシピに従って料理をされるんですが、味見をほとんどしないとしたらどうでしょうか?

その上「自分は100%正しい至高のレシピで調理しているので、味見なんでしなくても問題はないのだ!」と考えているとしたら…
困りますよね!
美味いか不味いかサッパリ分かりませんので…
 
幾らレシピが良いものだとしても実際の調理では自分の舌でコツコツと味見をして味を整えていく必要があります。 
当たり前っちゃ当たり前の話ですが…
 
結局人間っいうのは我が事として体感してみないと中々「あっ、そうか!」って風にはならないわけです。
そして体感として「あっ、そうか!」ってならないと心から納得はできないのです。
ピンと来ないですからね。

散々繰り返し痛い目に会って、やっと少しだけ骨身に染みて『分かる』ってのが人間という生き物です。
頭の中で考えただけでスルスル何でもピンと来るほど人間という生き物は出来が良くないんじゃないでしょうかね〜?

体感を得た上で理論を展開していくのはいいのです。 
体感に沿うカタチでね。

ただ、体感を得られないからといって理屈を捏ねて体感の無さをカバーしようとすると心を歪みます。
そうなると必ず心が迷います。
「近頃そういう人が激増している」と感じるのが気のせいならいいのですけどね…
 
以上の文章を書いたのは2016年ですが、最近はますます「体感がない机上の知識」が世の中に溢れてきているように感じます…

 

 
 
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憑依とメンタル

「身も心も支配されて完全に操られている状態」を所謂『憑依』とするならそういった人はごく少数でしょう。 
ただ、様々な波動エネルギーの影響を受けて、心や身体に大きく変調を来たしてしまう人というのは世の中には大勢いらっしゃいます。 
そういった状況をここでは一応「憑かれた状態」としておきます。 
 
『憑かれた状態』といってもオカルト映画みたいな誰でも分かるド派手な怪奇現象が起こるなんてことはまずありません。
見た目はもっとずっと地味です。
 
最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸食されていきます。
浸食された部分は本来のその人では無いモノに差し替えられていくのです。
 
差し替えられた部分は元からある部分と比べると擬態したカメレオンみたいになっています。
よく見れば違うのですが、ちょっと見には違いがわからない感じと申しましょうか…
 
差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかに言ってることや行動がオカシク見えるようになっていきます。
「何かあの人オカシイよね!」って感じも増大していくのです。
 
ある意味その時が『憑かれた状態』から引き返せる最大のチャンスです。
明らかにオカシイことが隠せなくなっているからです。
 
で、何が一番オカシくなるかというとメンタルです。
もちろん身体にダメージが出ることもありますが、どちらかというと心の部分から変になっていくパターンの方が多い気がします。
 
激しくなると不安や恐怖が増大して、心の制御が出来なくなり、いわゆる心が病んだ状態に陥っていくのです。
そういう状態の時には、波動的にいうと魂と身体の間にスキマが出来やすくなります。
 
アチラさん的には身体の中により入り込みやすい状態が生まれるので、好都合です。
なので、より多くのの恐怖と不安を与えるため心を揺さぶろうとします。
つまり、憑依された人は「①心を揺さぶられる → ②不安と恐怖が生まれる → ③心のスキマが広がる → ④スキマが広がった部分に入り込まれる → ①に帰る」という負のスパイラルを螺旋状に堕ちていくことになります。
 
その過程で元々心にスキマが大きかった人は身体を支配されて、声を発したり、手を動かしたりすることもあります。
そこまで行くと相当心のスキマが広がってしまっていますので、憑依状態を脱出した後も根気強くコツコツと心のスキマを埋めて魂と心を強くしていく必要があります。
 
憑依されないためには、何か特別な方法を用いるより、心も身体も魂も出来るだけいつも落ち着かせておく方が大切です。
憑依されると必ず心の不安定が加速していきますから、そうならないように気を付けるってことです。
で、これって霊的なことに対してだけじゃなくて、日常生活でも大事なことだと思います。
 
 
 
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楽園伝説は選民思想を原料にしています

ぶっちゃけた話世間の人々は人類って種族に期待しすぎじゃないでしょうか。
あっ、もちろん期待するのは自由です。
ただ、期待しすぎるから生きることのハードルが爆上がりになってる気はします。
 
この地球上において人間ってのは特別なonly oneなどではなく、あくまでもone of themってヤツです。
一匹の蟻と一人の人間の価値が違うってのは人間目線なら正解ですが、地球目線なら不正解だってことです。
 
結局人間は自分らのことを特別な存在であると信じてるわけです。
じゃあ、なぜそんな風に信じてるかというとその根底には拭い難い『選民思想』があります。
ここでいう『選民思想』というのは、「自分らだけが『特別に選ばれた種族』だっていう根拠のない思い込み」のことです。
 
その『選民思想』を現代社会に生きる大多数の人間はオブラートに包んだカタチで刷り込まれています。
『社会的な常識』の土台にある考え方として無自覚にソレに染まっているということです。
 
ユダヤキリスト教的な一神教の考え方にです。
ていうかこの世界自体が現在ユダヤキリスト教的な価値観に支配されているのですから、それも当然っちゃ当然ですけどね。(キリスト教徒ではない日本人も漏れなくね)
 
旧約聖書の創世記に最初の人間 (アダムとイブ) が神によって楽園 (エデンの園) から追放されるというお話があります。 
「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた」という伝説です。 

つまり、そこには「神に造られた原初の人間は何の苦しみもない世界で当たり前に生きていた」という考え方が根底にあるわけです。 
しかし、結局「人間の邪まな行いが神の怒りをかい、 初めに暮らしていた楽園を失い、苦しみと短い寿命の今の世界に住むようになった」という結末に落ち着くのです。
 
この筋書き通りなら遥か昔ですが、この世には一度楽園があったってことになります。
だからこそ楽園伝説を信じる人の心の何処かには「人間は元々ラッキでーハッピーな状態がデフォルト (常態)なのだ」という想いがずっとあるのだと思います。
ここでいう『楽園伝説』というのは「人間は元々苦しみ一つない『永遠の楽園』にいた。だから、やり方次第でその楽園を取り戻せるはずだ!」というお話のことです。
 
個人的には楽園伝説は罪作りなお伽噺だなとつくづく思っています。
最初からボタンのかけ違いをした『無い物ねだり』の人間を大勢生み出してしまったという意味でね…
例えばこんな風に↓
神の分け御霊である魂が本体である我々は、 神の本質を体現する必要がある。(中略) あらゆる人々の中に、 神の本質を見出せる社会に成れば、 いじめや差別など存在しない世界がやって来る。
これも楽園伝説の別バージョンって感じです。
「コレさえあればいじめや差別はなくなる!」ってのは、何だか「コレさえ飲めばみるみる痩せる!」というダイエット食品の謳い文句みたいです…(ー ー;)
 
元々無かった楽園という物語を真実のように求め続けるのはとってもモノ悲しいなと思うのです。
永遠にゴールの無いマラソンを走ってるようなモノですから…
 
 
 
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『予定調和の世界』をいつも夢見る自己啓発系

このブログではこれまでにスピリチュアルな『根性論』というものについて繰り返し書いてきました。
ここでいう『根性論』とは「気力が充実さえしていればよっぽどのことがない限り世の中大抵のことは精神力で乗り切れるのだ〜! 」みたいな考え方のことです。
霊的なことで言えば「精神力というか気力が充実してさえいれば霊的に悪いモノであってもあんまり強くないエネルギーならそんなに恐れる必要なんてないのだ〜! 」みたいな感じでしょう。
 
で、スピリチュアルな根性論の一つに『全ては気持ちの持ちよう論』ってのがあります。
『全ては気持ちの持ちよう論』ってのは「全ての問題は自分で作ってるだけだ! だから、自分の気の持ちようを変えられれば、何でも解決するんだよ!」という感じのモノです。
「自分さえコントロール出来れば世界は変わる!」っていう前提から出発しているのです。
 
その「自分さえコントロール出来れば世界は変わる!」という前提はまた「この世は予定調和の世界だ」という前提に支えられています。 
つまり、仮定の前提の上に仮定の前提を二重に乗っけてるビッグマック状態ってことです。
 
ここでいう「この世は予定調和の世界だ」という前提は「この世界では何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方を指します。 
 そういう考え方の人は「辻褄の合わないのは辻褄を合わすことの出来ない者の側に常に責任が存在する」って捉えるのです。 
勉強で例えるなら「算数の問題にはちゃんとした『解答』が先に用意されているのだから、その『解答』に辿りつけない子は単に本人が勉強不足なだけだ!」みたいな捉え方です。 
 
ただ、一人の人間は途轍もなく大きな『この世界』というジグソーパズルの一部のそのまた一部として存在しています。 
世界ってのはハナから一個人の人生の範疇など超えているってことです。
 
だから、一個人という『局所』から見れば、この世界というモノは理不尽で不条理な出来事の連続に映ります。 
端から個人の理解の範疇を超えているので理不尽で不条理に感じるのです。
 
そんな理不尽で不条理な世界で己れの思い通りに全部辻褄を合わせようとすること自体無理があります。
だから、「自分一人のチカラで何でも解決出来る! 」てな考え方をしてる人を見たら眉に唾をたっぷり付けたほうがいいと個人的には思っています。 
例えばこんな風なお話とかね↓
全ての問題の答えは自分の心が知っている。外側に答えがあるわけではない。 今の困難を乗り切る力はすでに自分が持っている。
要約すると「答えは全部自分の中にあるのだから、その答えさえ見つけられれば何でも乗り越えられる!」みたいな感じなのでしょう。
これって典型的な『予定調和の世界』を無邪気に信じる人の考え方だと思います。
 
そういう人ってご自分のやってることが上手く行ってる時は非常にポジティブですが、上手くいかなくなると途端にこの世を呪い出すという傾向があります。
自分の思い通りに辻褄の合うはずの世界(仮)の理不尽と不条理に頭の中がショートするからでしょうね…
 
 
 
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仮定盛りの根っこには思い込みの激しさがある

私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。
「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。
 
で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。
っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね…
 
そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。
ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。
まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね…
 
思い込みと決めつけのコラボはやがてイリュージョンへと成長していきます。
そのイリュージョンは成長を続ければ、映画マトリックスに出でくるような本物と見紛うばかりの『仮想現実』にまで盛り上がります。(その人にとってはですが)
 
で、この仮定盛りにおいて一番問題なのは、根拠のないことを盛りつけること自体より『自分がどこまで話を盛っているのか、ご本人でさえ分からなくなること」です。
盛ってる意識がなくなると申しましょうか…簡単にいえば自分のウソを自分で信じるようになるのです。
 
スピリチュアルな世界はホント仮定盛りの花盛りのように感じます。
元々リアルに裏を取れるような事柄じゃないことが多いので、言った者勝ちって感じになるのでしょうかねぇ(ー ー;)
言いたい放題の仮定盛りし放題ってこともよくあることです。
 
例えばこんな風に↓
天使の方が神に近い存在ならば、人間よりも天使の方が、よっぽど現実的で、有り得る存在なのです。 そして、この世において、「創造主」である神は「唯一」であり、それ以外は「天使」、ということになる。
ハッキリ言って何が言いたいのか分かりにくいのですが、結局神以外は全部天使なので、人間も天使だって話のようです。
神っていう万能の言葉を出せば、どんな仮定盛りも楽々簡単って感じですよねぇ…(ー ー;)
 
スピリチュアルな仮定盛りの人の厄介なのは、この手の万能のカード (仮) を持っていて、そのカードをバンバン切ってくるところです。
すべての辻褄を自分の持っている万能のカード (仮) で合わせようとするのです。
 
神さまやら宗教やらを信じるのは自由ですが、それを使って何でもかんでも仮定盛りをして、仮定を真実に書き換えようとするのは如何なものかと思うのです。
そういう思考はカルトへの第一歩ではないでしょうかねぇ…
 
で、思考がカルト化しやすい人は、答えを出す前から「絶対的な真理に基づく」って前提が頭の真ん中にあるような気がします。
絶対的真理といっても、あくまでもその人がそう思ってる思想信条のことですがね…
 
そういう人たちにとっては、仮定盛りの仮定が絶対的な真理みたいなモノなので、いくらあやふやな仮定を盛り付けても「これが真理なんだ!」って思い込みが激しいのでしょう。
仮定盛りの根っこには思い込みの激しさがあるのです。
 
 
 
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「神さまが先か、人間が先か」って話

ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。
そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。

今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。
簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。
 
じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。
「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。
 
もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。
その証拠に神さまという言葉ほど古今東西世界中の誰もが知っていて、しかもここまで曖昧模糊とした意味を持つ言葉はそうそうありません。
 
とにかく人間は実に様々なモノに神さまという名を付けてきました。
亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノ、エネルギー体の入った岩とかの物、エネルギー体の入った物のある場所、果ては宇宙人なるモノまでカミサマにしてしまっています。
 
或いは台湾や中国では斉天大聖孫悟空とか小説の主人公まで神さまとして崇めてたりします。
まあ、何でもありですよねぇ。
 
この地球上には様々な地域、様々な人種、様々な時代が存在します。
神さまという概念を人間が作ったのなら、当然地域や人種や時代によってカミサマも千差万別です。
 
以上のように「神さまは人間が作った概念である」ってことについてこのブログでは繰り返ししつこく語ってきました。
ただ、一般的な宗教では神が人間を作ったことになっています。
例えばこんな風に↓
そもそもからして、「人間」自体が、「カルマの解消」を目的として、神が空想して作り上げた「架空の生き物」。
人間が架空の生き物ってのが何のことやら分かりませんが、とにかく人間は神さまが作ったってことらしいのは分かります。
ていうか人間以外もこの世界のすべては神さまが作ったっていう前提のようです。
 
そういう考え方ってのは、ある意味すごく楽なんでしょうね… 
困ったら何でもかんでも神さまに丸投げに出来ますから!
「だって、すべては神さまが作ったのだから!」って感じで、小難しいことは考えずに済むって寸法です。
 
個人的にはそれが良いことだとは全く思えませんけどね…
心の根っこの部分で『自由』ってモノをすべて捨ててしまっているのでね…
 
 
 
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「正しい!」の比べっこを続けるほど『怒りの沸点』は低くなる

目の前に100人の人がいれば100通りの「正しい!」が存在します。 
みんな自分が正しいと思っているからです。 

もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。 
万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。

知力・暴力・権力…如何なるチカラであれ、それを他に対して行使し続けるなら波動的に荒々しく尖っていきます。 
つまり、『正しいの比べっこ』というものをやればやるほど必然として荒々しい波動に染まっていくということです。 
 
自分の「正しい!」を他者に押し付ければ心の許容量は必然的に減少します。
 単純に考えてみてください。
「自分が正しい! 自分が正しい!」と何時も考え続けているような人が他人に対して寛容でいられるかどうかを。
 
で、その「心の許容量が減少し続けた者」がたどり着く先の一つが『マイワールド認定世界チャンピオン』です。
『マイワールド認定世界チャンピオン』ってのは私の作った造語ですがね。
 
ここでいうマイワールドというのは「自分は何時も必ず正しいのだ!」というファンタジーな世界のことです。  
 それは自我の肥大化がドンドン進んでいった先のカタチです。
進んだ先に「自分は何時も正しいのだ!」という振り切れた御伽噺の世界が待っているのです。 
 
つまり、『マイワールド認定世界チャンピオン』とはエンドレスに最強の「正しい!」パンチを炸裂させ続ける『無敵の人』のことです。 
あくまで「その人の中のファンタジー世界では」ですがね…
 
このファンタジー世界は善悪二元論で成り立っています。
「いつも自分の内側にある善」と「いつも自分の外側にある悪」とによってです。
 
「自分の内なる悪」なんて想定しようものなら、途端に絶対王者の座から転げ落ちてしまいます。
チャンピオンにお墨付きを与えている『マイワールド』の前提がその時点で崩れるからです。 
 
チャンピオンベルトには『絶対善』という価値が付与されているがゆえに輝くのです。
ていうか「輝く!」と信じてるのです。
 
それゆえに『マイワールド認定世界チャンピオン』の症状が進めば進むほど、その人は脊椎反射的に動くようになります。
何かに突かれたイソギンチャクのように、自分の信じる『絶対善』が侵害されたと感じた途端びっくりするほど過激な反応を見せたりするのです。
 
最近増えたと感じるやたらと心の沸点が低い人の中には『マイワールド認定世界チャンピオン』が少なからず含まれている気がします。
だから、「『正しい!』にこだわるのもほどほどにしといた方がいいのに」と思うのです。
 
 
 
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「霊感がある人かどうか」のごく個人的な見分け方

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2016年10月の記事
以前にこんなことを書きました。
 
とどのつまり『分かる』ということは非常に感覚的なものだと思うのです。
感じるもの、と申しましょうか…
 
「じゃあ、知識や理屈は要らないの?」といえばそうでもありません。
知識や理屈は分かるための下支えとして必要なのです。
簡単にいえば参考資料みたいなものです。
時にはヒントにもなります。
 
上記のことは所謂『スピリチュアル』な事柄については特に顕著だと思います。
「分かるということは感覚的である」という部分がです。
 
眼に見えない世界というのは先ず体感ありきの世界です。 
その体感は時にひどく言葉にしにくかったりするのですが、それだと他人に伝わらないので何とか無理くり言葉にする感じです。
 
なので、私の場合は擬音が多くなりがちです。
体感的なモノを言葉にしている時は抽象語には中々行き着きません。
「ザワザワする」とか「ゾワッとした」とかそんな風な感じになりがちです。
というかそんな感じにならざるを得ないわけです。
 
で、ここからは誰でも分かる『霊的能力の多寡』の見分け方について述べていきます。
あくまでも個人的な見方に過ぎないことを先にお断りしておきます。
 
世の中にはスピリチュアルなことを語る人々が大勢いらっしゃいますが、文章にご自身の体感がどれくらい表されているかが目安になります。 
神秘的な現象の『説明』とかスピリチュアルな『知識』の開陳とかばかりなら体感は薄いと判断出来るでしょう。
その『説明』や『知識』が他人の受け売りなら7割引で見るくらいでいいかなと思ってます。
 
あっ、これはあくまでもその人に霊的感覚があるのかないのかの話です。
その人がおっしゃる内容の正否について申し上げているわけではありません。
霊的な感覚があっても支離滅裂なことばかりおっしゃる方もいるでしょうしね…
 
ただ、「感覚的なことを語らないのは眼に見えない世界の事柄について『皮膚感覚』が欠けているからじゃないか」と個人的には感じてしまうのです。
他の方に関しても、「そのあたりのこと」に留意して文章やお話を聞いていけば、色々と「見えてくるモノ」もあるんじゃないでしょうかねぇ…
 
 
 
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先入観と心のバランス

人間は誰しも見たいように世界を見ています。
それは「全ての人には主観がある」ってことです。
 
主観があるってことは先入観があるということでもあります。
すべての主観はその人の経験値に支えられているからです。
人は誰しも個人的な経験を経てその人独自の考え方を持つに至ります。
 
しかし、主観があまりに先鋭化すればコダワリになって心に固定されます。
主観が固定されればされるほど心は先入観によって縛られ雁字搦めになってしまうのです。 
 
じゃあ、先入観が全くない方がいいのかといえばそんなこともありません。
なけりゃないで色んな判断がやたらと遅くなって物事が中々進まなくなってしまうからです。
思考の途中を端折れなくて何でもかんでも「一から十まで」考えなくちゃならなくなりますから非効率です。
物事のアタリを早く付ける為にはある程度先入観というか主観による分別は必要なのです。
 
ただ、あまりに経験値に執着し過ぎると先入観が強くなり過ぎます。
そうなると何でもいびつな色眼鏡で物事を見るようになるのです。
 
以上のようなことを書いたことがあります。
先入観ってのは例えていえば自動車みたいなモノです。
上手いこと使えば時間を短縮出来る優れモノですが、使い様によっては危なっかしい代物にもなります。
どちらになるかはその人次第ですが、大多数の人間は先入観に振りまされてしまっています。
 
先入観に振り回される度合いの強い人間のことを世間一般の言葉で表現すると頑固です。
つまり、頑固な人間ってのは自分の先入観に振り回され、支配されている人のことを指すのです。
 
しかも、頑固な人間ほど自分が先入観に支配されているとは思ってません。
逆に「自分は『自らの揺るぎない信念』に基づいて動いてるのだ!」と信じ込んでいる人が圧倒的に多いんじゃないでしょうか?
 
繰り返しになりますが、先入観があるのがダメなのではありません。
先入観に雁字搦めにされ、先入観にいいように使われ、使われてることにさえ気付かなくなることがダメなのです。
 
現在インターネット等の発達により、個人的に集められる情報が加速度的に増えてきています。
今後まだまだ増えていくのかも知れません。
 
この状況において先入観に雁字搦めになった人間は非常に偏った情報をかき集め、自らの先入観をより補強するようになっています。
要は今は先入観がドンドン補強され心にバイアスがかかりやすい時代であるということです。
そのことをちゃんと認識しないとすぐに心を偏った情報によって侵食されるでしょう。
 
「死ぬまでずっと心のバランスを取り続けること」
それがいつでも大切です。
 
 
 
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「ささやかな呪詛もやがて、塵も積もれば山となる」って話

ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。
マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 
一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m
 
世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。
丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。
 
っていうかそういう『儀式ありき』でしか成り立たないモノと思われている節があります。
『呪詛』を行う場合の技術や方法論が一番大事と考えられているのです。
 
でも、呪いの方法が古来からのやり方に合ってるから『呪詛』なのではありません。
人を呪う心のカタチが即ち『呪詛』なのです。
少なくともここでいう『呪詛』とはそういう意味合いのモノです。
 
ここで特に申し上げたいのは「呪詛はこの世では非常にありふれたモノだ」ということです。
ネガティブな感情のあるところには何処でも呪詛は存在します。
 
つまり、「人の居るところ遍く呪いあり!」ってことです。
呪詛は『静かな隣人』として誰のそばにでも存在します。
 
で、最近こんなブログの文章を拝見したのです↓
(前略)彼女に対して想定外の不幸はこれからも続くということにもなりますよね。 それを想像すると、ちょっと楽しい私がいます(*^-^*)  どんな不幸でここから私たちを楽しませてくれるのか(笑) 私はそれが楽しみでなりません♪
これは「ひと頃すごく人気があったスピリチュアルな世界での有名人(仮)が落ち目になって私は楽しい!」って話のようです。
書いてる人的には、何の悪気もないのでしょう…
「あんなエセ教祖みたいな人が堕ちていくのを見れて、みんなもスカッとしてるでしょ(^-^)」って感じです。
 
でも、これって波動的には完全に『呪詛』ですからねぇ。
「相手がもっと不幸になってほしい」って想いをわざわざ込めて、表に現した言葉ですので…
 
しかもご本人はそれが呪いになってることを全く認識してません。
つまり、お手軽簡単に何気なく『呪詛』してしまってるってことです。
 
もちろんそんなお手軽簡単な『呪詛』が、相手に対してメガトン級のダメージを与えることは非常に稀れです。
ただ、ダメージはゼロではありません。
 
「塵も積もれば山となる」と申します。
また「人を呪わば穴二つ掘れ」とも申します。
お手軽簡単な『呪詛』でも日頃から当たり前のように繰り返していれば、塵も積もれば山となり、やがて「人を呪わば穴二つ掘れ」ってところまで行き着くでしょう…
 
 
 
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