向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。
また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね…
とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。
復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓
2016年10月の記事
以前にこんなことを書きました。
とどのつまり『分かる』ということは非常に感覚的なものだと思うのです。
感じるもの、と申しましょうか…
「じゃあ、知識や理屈は要らないの?」といえばそうでもありません。
知識や理屈は分かるための下支えとして必要なのです。
簡単にいえば参考資料みたいなものです。
時にはヒントにもなります。
上記のことは所謂『スピリチュアル』な事柄については特に顕著だと思います。
「分かるということは感覚的である」という部分がです。
眼に見えない世界というのは先ず体感ありきの世界です。
その体感は時にひどく言葉にしにくかったりするのですが、それだと他人に伝わらないので何とか無理くり言葉にする感じです。
なので、私の場合は擬音が多くなりがちです。
体感的なモノを言葉にしている時は抽象語には中々行き着きません。
「ザワザワする」とか「ゾワッとした」とかそんな風な感じになりがちです。
というかそんな感じにならざるを得ないわけです。
で、ここからは誰でも分かる『霊的能力の多寡』の見分け方について述べていきます。
あくまでも個人的な見方に過ぎないことを先にお断りしておきます。
世の中にはスピリチュアルなことを語る人々が大勢いらっしゃいますが、文章にご自身の体感がどれくらい表されているかが目安になります。
神秘的な現象の『説明』とかスピリチュアルな『知識』の開陳とかばかりなら体感は薄いと判断出来るでしょう。
その『説明』や『知識』が他人の受け売りなら7割引で見るくらいでいいかなと思ってます。
あっ、これはあくまでもその人に霊的感覚があるのかないのかの話です。
その人がおっしゃる内容の正否について申し上げているわけではありません。
霊的な感覚があっても支離滅裂なことばかりおっしゃる方もいるでしょうしね…
ただ、「感覚的なことを語らないのは眼に見えない世界の事柄について『皮膚感覚』が欠けているからじゃないか」と個人的には感じてしまうのです。
他の方に関しても、「そのあたりのこと」に留意して文章やお話を聞いていけば、色々と「見えてくるモノ」もあるんじゃないでしょうかねぇ…
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