『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

コミニケーションには『認識の共有』が大切です

世の中には時々何の注釈も無しで独自の用語とか考え方を語られる方がいらっしゃいます。
特にスピリチュアル〜な世界には多い気がします。
まぁ、スピリチュアルに限ったことではありませんがね。
 
「みなさんご存知のように」みたいな前置きをおっしゃるならまだマシで、ご自分の頭で考えた通りをいきなり文章にしてみたりされるのです。
つまり、『認識の共有』を非常に軽視されてるわけです。
 
例えば『ヒーリング』だの『波動』だのと書いてあっても、人によってそれぞれ相当に意味合いが違ってたりします。
だから、私の場合は「ここでいう〇〇はこういうことを表しています」みたいに前提を付けて語ります。
そうしないと最低限の『認識の共有』も出来ないと思うからです。
 
ハッキリ言って、スピリチュアル〜な世界ってただでさえ世間一般からズレた怪しげで眉唾なことを語ってるわけです。
そこにある言葉や概念は、何の注釈もなく誰もが「ああ、あれか!」と分かるような共通の認識なんてない『あやふやなもの』がほとんどです。
 
だから、特殊な用語を何の注釈も付けずに当たり前のように語ってくるスピリチュアル〜な人がいたらその時点で眉に唾付けて話半分に聞いた方が良いと思います。
もちろんこれってスピリチュアルだけではなく、一般的でもないカタカナ語をやたらと使いたがる所謂『頭のいい人』にも当てはまりますがね…
 
とにかく「私の言ってることは全部真実だから、みんなは勉強して遅れずについて来てくれよ!」みたいな雰囲気を醸し出してる人には近付かない方が無難です。
こちらの言うことはロクに聞かない場合が多いので疲れますから…(ー ー;)
 
で、最近チャネリング系の方が、特殊な用語じゃないですが、ぶっ飛んだ独自理論を展開されている文章を拝見したのです↓
ならば、『ただし』という言葉の意味を分かっているの?『ですが』なら分かります。『ただし』というのは、忠告する言葉です。『ですが』は、人の心に訴えかける言葉です。
「『ただし』は忠告する言葉、『ですが』は人の心に訴えかける言葉」なんて解釈は、生まれて初めて拝見したので改めて調べてみました↓
「ですが」は直前の言葉を否定しながら、それとは反対の言葉や意見を述べるときに使われます。
この方はご自分の独自理論から、「ただし」って言葉に「お前に一つ忠告しといてやるがな!」みたいな高圧的な意味を勝手に見出し、相手の無礼さ(仮)に怒りを感じ取られているようです。
そういう「ただしを使うヤツは上から目線で無礼!」みたいな認識を持たれた上で、「自分以外の人間も全員そういう認識を持ってて当たり前! 」って感覚みたいです。
 
人と人とのコミニケーションには『認識の共有』が大切です。
そして、独自理論でなくても、何のすり合わせもなく、万人に共有されている認識なんてどこにも無いのです。
 
なので、言葉の認識をすり合わせる意志の乏しい人は他人とのコミニケーションを取るのが次第に難しくなっていくでしょう。
一言でいえば、独りよがりになるからです。
 
 
 
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所謂『毒親』と親から受けた想念エネルギーの影響

世の中の多くの人は「自分の心ってのは、やり方さえ間違わなければ丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか?
現実になって何処までコントロール出来てるかどうかは別に、『構造』としてね…
 
しかし、実際には只今現在のその人の顕在意識でコントロール出来る部分っていうのは心全体の半分もあればいい方でしょう。
残り半分以上は顕在意識じゃないモノの影響を受けているのです。
 
影響を受けているというのはやんわりとした表現で実態としては振り回されていると言った方が近い気がします。
何に振り回されているかといえば一番は過去の自分です。
過去の自分とは私の言葉でいえば自縛の想念エネルギーのことです。
 
日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。
そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。
私はそれを自縛のエネルギーと呼んでいます。
 
自縛のエネルギーの始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。
まぁ、最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。
 
親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に自縛のエネルギーが生まれていくってことがよくあります。
親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も大きいですが、目に見えない部分もまた大きいのです。
 
あと、親からもらった想念エネルギーもまた子どもの人生に大きな影響を与えます。
小さな子どもの頃のモノは特に影響大です。
 
例えば「あれをしろ!」とか「これをするな!」とかいう子どもを縛る想念エネルギーです。
人によっては大人になってからもたくさん詰め込まれます。
人間は自分の作った想念エネルギーと親からもらった想念エネルギーに縛りまくられているのです。
 
以上のように幼少期に親から与えられる波動的な影響についてこれまで何度も述べていました。
「三つ子の魂百まで」ってのは本当だと思います。
 
毒親って言葉がありますが、人にとって親の影響は毒にも薬にもなります。
毒になってる人の方が多い気がしますけどね…
例えばこんな風に↓
毒親に対する辛さを話す=病んでる
毒親に対する辛さを話さない=健康
って思われがちだけど、これ逆です。 
毒親に対する辛さを話す =やっと話せるくらいに回復したってこと。
これって過去に親から与えられた想念エネルギーのダメージの大きさがよく分かる話です。
そして、毒親でなくても大なり小なり誰もが、親からの想念エネルギーの影響を死ぬまで持ち続けて生きるのです。
それが大人になっても無くならないのが生きづらさの一つの原因だと思います。
 
 
 
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「子孫のいない『亡くなったヒト』は大勢いる」って話

ヒーリングなんてことをしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくありません
珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね…
 
所謂『成仏』してないヒトの多くが生きていた時の刷り込みとそれに基づく条件反射でほぼ動いているようにお見受けします。
「死んだらお墓に行かなくちゃ!」とか「仏壇に居なくちゃ!」とかいう想いでズルズルと動くのです。 
 
線香の煙や読経の声にも亡くなられた方は反応して寄って来ます。
それによって「自分も成仏出来るはずだ!」という生前の刷り込みの結果なのかなと感じます。 
 
あと、自分が亡くなったこと自体分かってない人も大勢いらっしゃいます。
そういう人は道端とかにぼーっと立ってたりします。
いわゆる地縛霊です。
 
本当は場所に縛られてるわけではなく、ご自分が死んだことを認識出来ないので動けないのです。
ことほど左様に生前の心の世界を死後の魂になっても強く引きずっている場合は多いです。
最近こんな文章を拝見しました↓
死後に彷徨う霊というものも、この世には多く存在します。それも供養をしてもらえなかったり、この世に未練や執着をもったまま成仏せずに彷徨ってしまうことがあるのです。
「亡くなったヒトが成仏出来ないのは子孫がちゃんと供養しないからだ」という古くからのよくある未成仏に対するステレオタイプのご意見です。
これって私には全然ピンと来ない話なんですよねぇ。
 
そもそも、昔であっても「子孫だからって必ず先祖供養をしてた」とは限らないでしょ?
少なくとも今のようなお墓を作るようになったのは江戸時代以降の話ですしね。
ずっと昔から今のようなカタチの先祖供養が続けられてきたと何とな〜く信じてる人がスピリチュアル界隈には多い気がしますが、実態としてはそんなことないですからねぇ…
 
それに、何より子孫が絶えた家系ってのが世の中には少なくありません。
昔の言い方をするなら『家名断絶』ってヤツです。
 
今は過去より大勢の人間が地球上に生きています。
てことは血縁という意味では過去に生きてた人々と今生きてる人間は必ずどこかで繋がっています。
 
ただ、「〇〇家」或いは「〇〇氏」という形で現在まで『家系』が継続してないケースは山ほどあります。
別の言い方をするなら、生物学的な先祖は存在しても、供養の実施者となる社会的な受け皿が何処にも存在しないってことです。
もっと簡単にいえばどこにも『子孫』のいない亡くなったヒトってのが世の中には当たり前に存在するということです。
 
だから、子孫の有無と成仏の関係は極めて希薄です。
先祖供養ってのは生きてる側の慰めのためにあっていいとは思いますけどね…
 
 
 
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出来るだけ波動のレベルを下げない方法 (荒々しい言葉篇)

波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 
別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。
 
日々の何気ない言葉や行動の集積がその人の波動のレベルを形作っていきます。
そうやって形作られた波動のレベルがまた次の波動のレベルの土台となるのです。
 
日常的に言葉が荒々しいというのはその人の波動が荒々しいということです。
波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことなのです。
 
日ごろから荒っぽい言葉を使い続けていると波動のレベルが下がりやすい心のカタチになります。
言葉の荒々しさには荒々しい想念エネルギーを増幅させやすい性質があるからです。
 
実際荒々しい行動や言動を繰り返す人の波動のレベルはドンドン低くなっていくものです。
だから、その人の言葉や行動の傾向を見ていけば、自ずとその人の波動のレベルは推測出来ます。
 
一番問題なのは、荒々しい言葉を使ってることの『意味』に無自覚になることです。
無自覚というか、むしろ誇らしいこととさえ思ってるんじゃないだろうかと感じることが少なくありません。
荒々しい言葉を使ってるご自分に陶酔してる感じと申しましょうか…
 
以上のようなことを以前に述べたことがあります。
人は自分の使ってる言葉の波動に大なり小なり共鳴しています。
特別な言葉でなくても、日頃何気なく使ってる言葉であってもそれは同じです。
 
荒々しい言葉ばかり使ってれば最初は穏やかな気持ちでいたとしても段々荒々しい気持ちに染まっていきます。
徐々にしかし確実にです。
 
「心にもないことを言ってしまった」みたいな言葉があります。
でも、人は心にもないことは出てきません。
百歩譲ってお芝居のセリフのように心にもない言葉がスラスラ言えたとしても、そのセリフを何度も繰り返していれば、必ずその言葉の波動が心に染み込んでいきます。
 
道徳論とかではなく、明らかに心はオラオラしていくのです。
荒っぽい言葉を使えば使うほど心はオラオラしていきます。
だから、同じ意味の言葉なら出来るだけ穏やかな表現を選ぶクセをつけた方がいいです。
 
「内容が正しいなら、何言ってもいいだろう!」ってのは理屈としては正しいでしょう。
しかし、エネルギー的に見れば明らかに波動のレベルを落とすやり方だってことです。
 
荒々しい言葉ってのは「啖呵を切る」みたいな感じで、言ってる時はスカッすることも多いです。
でも、だからこそそういう言葉遣いはクセにしない方がいいと強く思うのです。
 
 
 
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一人一人が否応なく『命の選別』について問われる時代

現在日本では少子化が大きな社会問題として騒がれています。
簡単に言うと少子化→人口の縮小→経済の縮小→国家の衰退という筋です。
 
主に人口の縮小によって各種の公共サービスの財源が失われることだけが問題であるかのように事は矮小化されています。
逆にいえば「日本単体の出生率さえ回復出来れば、それだけで『解決出来得る問題』である」とボンヤリと捉えられているってことです。
 
本当の問題は、簡単に言うと「世界人口の不可逆的な縮小→世界文明の長期的停滞→人類そのものの衰退」です。
要は「もうこの地球上では人間は種としての大規模な発展は望めない」ってことなのです。
 
長期的に見てこの苦境を打開するためには2つの手しかありません。
一つは人為的に数十億人単位の『人口削減』を行うことによって地球上における種としての適性数まで人間の数を押し下げること。
つまり、史上空前の大規模な『人間の間引き』です。
しかし、言うまでもなくそんな方法はあまりにも残虐すぎて端からお話にもなりません。
 
であるなら残る手は一つです。
それは地球外に脱出して別の天体に『新天地』を見つけることで種としての存続発展を図ることです。
ただし、これも科学力の発展がその計画を早期に可能にするほどの速度で進歩することが前提となります。
また例え将来それが可能になったとしても、地球外に脱出出来るのは全人類から見ればほんの一握りの『選ばれた人間』のみでしょう。
 
つまり、この先遅かれ早かれ『命の選別』が表立って語られる時代がやって来るということです。 
地球に対して人間の数が増えすぎた代償としてね。
 
それはすべての人間に突きつけられる課題としてやって来ます。
自分も含めて、人間の命の重さを抽象論としてではなくリアルに問われる時代になるってことです。

一人一人の人間がその問いに対する本気の答えを用意しなくちゃならなくなるでしょう。

 
『命の選別』について以上のようなことを述べたことがあります。
人口の爆発が『命の選別』を呼ぶということをね。
ただ、最近新型肺炎の流行により、人間の命の重さが問われる時代の到来が否応なく早まっている気がします。
例えばこんな風に↓
最近は患者さんが多すぎて、ICUとコロナ病棟は常に満床の状態です。(中略) そしていよいよ、“80歳以上の患者さんは受け入れない”という決定が下されました。高齢者施設でクラスターが起こったとしても、『うちに入れることはもう諦めてください』とお断りしているんです…
「今は未知の疫病流行という不測の事態だから治療の優先順位がイレギュラーに付けられているだけだ」と考えてる人もいるかも知れません。
しかし、時勢を鑑みれば、社会が制度として個人の『命の重さ』を計量する時代が、もうすぐそこまで来ている気がします。
そんな時代が来るのが、少しでも遅くなることを個人的には願っていますけどね…
 
 
 
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カミサマと悪魔・魔物がセットで語られることの『意味』

ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。
そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。

今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。
簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。

世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されています。
ぶっちゃけた話「自分に何か得になることをしてくれるのが神さまだ」っていう理解です。

人間と極めて近しい存在として神さまという超自然的な存在は設定されているのです。
「人間なんて関係ないぜ!」って神さまの話はほとんどないでしょう。
 
じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。
「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。
 
もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。
それ以上でもそれ以下でもないのです。
 
で、今回取り上げるのは悪魔です。
悪魔ってのは主にユダヤキリスト教的な価値観にある唯一絶対神の対極にあるモノとして設定されています。

人間が考える神さまってのは、やたらと人間ばかりに執着する存在なので、それと対になる悪魔の興味も人間に偏執しています。
人間をどうやって悪の道に引きずり込もうかと1年365日24時間コンビニ状態で画策しているらしいのです。(そんなにヒマなのか?)
まぁ、あくまでもそういう設定だってことですがね…
 
つまり、人間を依怙贔屓する神の対極として、人間をいじめ倒す悪魔というモノが設定されているのです。
マンガでいえばカミサマはドラえもんで、悪魔はジャイアンです。
もちろん人間はのび太くんってことになります。
 
所謂霊能者の人で上に述べたような神様や悪魔について言及する人がいたら眉に唾をつけて見た方がいいと思います。
 まあ、例によって例のごとく独断と偏見ですがね…
 
特に悪魔だ悪霊だ魔物だってモノについて、事あるごとに触れたがる人は、周りの人間に対して不安や恐怖を植えつけたいんだろうなと感じてしまいます。
言ってること全部が悪意から出ているとは思いませんが、結果的に相手の心をダメージを与えてるのは確かでしょう。
恐怖や不安は人の心を思考停止にして『すがれる存在』に依存しやすくしますので…
 
繰り返しますが、カミサマと悪魔・魔物をセットで語る人には気を付けてください。
まあ、「それでも信じる!」って人は好きにされたらいいと思いますけどね…
 
 
 
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想念エネルギーの影響は『ネガティヴ限定』ではありません

一般的に考えられている生き霊というのは「その人の魂の一部が抜け出して、特定の人間の所へ飛んでいき、悪影響を与えるモノ」みたいなイメージではないかと思います。 
もっと細かく言えば以下のような感じでしょうか… 

① 生き霊はその人の魂そのものであるから1人1つである

② 生き霊は強烈な想いに因って生まれるため常に特定の個人や場所に飛んでいくものである

③ ①と②からすれば生き霊とは稀なモノである(強烈な想いを継続的に持った状態でなければなかなか成立しないので) 

こうして見ると所謂『生き霊』というのは相当特殊な存在として想定されていることが解ります。 
少なくとも日常的に何処にでも在るものとしては考えられてないみたいです。
 
とにかく一部の強い恨みの念のようなモノ以外はエネルギーとしてハッキリとした作用は及ぼさないってことじゃないでしょうか?
つまり、一般的な生き霊の概念の中では、ほとんどの人間の想念というのは明確なエネルギーとはならず、なっても微弱なまま直ぐに何処かへ行ってしまうということです。
例えばこんな風に↓
念とは、生きている人間が発するもの。 怒りや憎しみや悲しみや… そういった想念だと、ここでは説明しておきます。 その念を、誰かに向けた場合、その誰かの念の方が強ければ、念を向けたあなた自身がやられ、相手の念の力が弱ければ、相手は念の影響を受け、その代償としてあなた自身も念の影響を受ける。 
内容からして、引用文の念というのはほぼ最初に私が述べた生き霊とほぼ同じ種類のモノと言えるでしょう。
後半部の説明はあまりよく分かりませんが、とにかく「ある人が誰か特定の人間に意識的に送る想念エネルギーが念である」ということらしいです。
 
ただ、ここで一つ引っかかるのがどうもこの想念エネルギーというのがネガティブなモノ限定みたいなことです。
ポジティブなエネルギーは何の影響も及ぼさないってことなのでしょうか?
それって非常に偏った見方のように感じます。
偏ってるというかダブルスタンダードな考え方ですよねぇ。
 
ネガティブな想念エネルギーが人に影響を与えるなら、ポジティブなエネルギーも影響を与えると考えるのが当然でしょう。
そうじゃなければ、辻褄が合いません。
 
ネガティブな生き霊を語る人は大勢いらっしゃいますが、、ポジティブな祈り?とかについて一緒に語る人はほとんどいません。
もし霊能力を名乗る人間が生き霊を語っていたら、その人に対して祈りなどのポジティブな想念エネルギーについて質問してみるといいでしょう。
それによってその人の霊能力とやらがどの程度のモノかをある程度推測出来るからです。
 
ちなみに個人的には想念エネルギーというのはいつでもどこでも誰にでも人が思えば発生するモノとして認識しています。
ポジティブであろうとネガティヴであろうとね!
 
 
 
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所謂魔境と「ありふれた日常の感覚を大切にすること」

スピリチュアル好きな人の多くが大なり小なり劇的な覚醒経験みたいなモノを望んでいるんじゃないでしょうか?
神秘体験をして万能感を得たいっていう気持ちが心の何処かにあるってことです。

まぁ、でもねそれって一歩間違えれば危険なマヤカシに呑み込まれる端緒になりかねません。
それが「『魔境』って呼ばれるファンタジー世界の入り口にわざわざ首を突っ込んで覗き込んでいる状態」なのは確かです。
主によく語られる魔境の意味は『神秘体験などに囚われ、意識の拡張により自分のエゴが肥大し、精神のバランスを崩した状態である』といわれている。簡単に説明すると現実世界では通常体験出来ない現象や思想を感じた時「特別な何かを得た、感じた」と思い、その出来事・物事にとらわれてしまう、のめり込んでしまうといった状態になることではないだろうか。しかも、本人はその事に気付いていないという部分が何より大きいと思われる。 
例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、所謂スピリチュアルな世界の住人の大半がこの魔境ってモノに対して驚くほど無防備です。
むしろ諸手を挙げてウエルカムな感じの人の方が大部分な気がします。
 
魔境に入っていくキッカケとしては「色んな神秘現象を体験させられる→万能感と高揚感がドンドン高まる→神や仏に導かれてるような気がしだす」みたいなのが典型的なパターンです。
言い換えるなら「自分は特別だ!」って思わせてくれるような不思議な体験が重なることによって「オレってスゴいぜ!」という万能感が高まっていくということです。
 
大抵の人は所謂一つの現実だけの世界に生きています。
ここでいう「現実だけの世界」ってのは「眼に見えないモノなどどこにも存在するはずはない!」って普通に感じられる世界ってことです。
 
「現実だけの世界」にいて余計なモノを感じなければ心はその分安らかでしょう。
「そういう人はそれでいいんだ」と私は思います。
 
だから、そういう人はわざわざ自分から不思議になんて近付かなけれはいいのです。
それでも、もしどうしても眼に見えない世界に近付きたければ、常に不思議に呑み込まれる危険性があることを覚悟しなくちゃなりません。
 
それに、「現実だけの世界」を見てる時より心は不安定になりやすくなるでしょう。
曖昧模糊とした何が正解かも分からない世界で心のバランスを取り続けなければならないからです。
 
そもそも現実だけの世界に生きていたって心のバランスは取り続ける必要があります。
魔境にありがちな万能感を得た境地とは正反対の心の持ち方がね…
 
人にはないチカラを持てたと思ったら大抵の人は浮き足立ちます。
浮き足立って心のバランスを崩すのです。
 
魔境にハマらないためには、心のバランスを取り続けることが大切です。
そのためには『ありふれた日常の感覚』から心を出来るだけ離さないことです。
そうでなくても眼に見えないことに敏感な人は心が浮世離れしやすいのでね…
 
 
 
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所謂『式神』とワールドワイドな呪術合戦

2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』ですからはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。
向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。
また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね…
 
とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。
復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓
 
2017年7月の記事
ここでいう式神とは特定の人間や集団などが何らかの呪術的な方法を用いて意図的に使役することの出来るエネルギー体全般を指します。
その呪術というのは必ずしも昔の陰陽道に限ったものではありません。
 
なので、一般的に言われる所謂『式神』とは大分意味合いが違います。
というか随分間口の広げているとお考えください。
 
他に適当な言葉が見つからないので人間の側が何らかの手段で使いこなそうとするエネルギー体すべてを『式神』という言葉で表現しています。
で、そういう手段は世界中のあちこちに存在するのです。
 
実際に今でも呪術的な方法によって何らかのエネルギー体を使役しようと試みる人々は後を絶ちません。 
そして、ヒーリングなどしておりますとそんなエネルギー体に出会うことも決して稀なことではないのです。
 
てことで式神使いは世界中何処にでもいます。
残念ながらそれが事実です。
 
しかもみんながみんな個人的な狭い範囲の事柄ばかり扱ってるわけではないです。
国を超え海を越えて組織的に継続的に暗躍してたりもします。
 
式神を使って呪術的な『仕事』を行なっているということです。
『仕事』というのは金銭絡みってだけの意味ではありません。
やってることが単なるマジナイの域を超えているという意味です。
 
現世は目に見える部分でも生き馬の目を抜くような世界です。
ただ、眼に見えない部分ではさらに凄まじい暗闘が繰り広げられていたりします。
それが現実社会の利害損得と直結しているからです。
 
表側の巨大な利権を巡り、裏側では呪術合戦が日々行われています。
そんなことは知らないで済むなら、ずっと知らないままでいいことなのかも知れません…
 
しかしながら、現実は非情です。
そういった呪術合戦が大勢の人々を巻き込んで知らぬ間にダメージを与えているのです。
 
特に式神を使いたがるのは日本の西にある大陸の人々の気がします。
時に亡くなったヒトを縛り、オニなどを縛って式神と為すのです。
 
そういう式神使いってのは大抵エゲツない人々です。
人を人とも思ってないようなところがあります。
出来れば一生1ミリも関わりには、なりたくないものです…
 
 
 
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「霊感はその出どころが一番大事!」って話

世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。
そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 

一つには人間が生き物として生まれながらに持っている所謂『第六感』です。 
一般的には『勘』とか呼ばれるモノです。
 
個人的には『勘』は他の五感と並列的に在るものだと思っています。
特別な人間に与えられた特殊なチカラではなくね。
 
ここで五感というのは誰もが日々ごく普通に感じている感覚のアレヤコレヤのことです。
それぞれに個体差はあっても人が生まれた時から持っている『感じるチカラ』全般を指しています。
 
第六感を含んだ人間の感覚は身体の衰えとともに劣化していきます。
しかし、その100%全てがなくなるということは死ぬまでないのです。
っていうかそれが完全に無くなるってのが「亡くなること」ですからね。

もう一つは物の怪などの目に見えない存在から後天的に与えられた超自然的なチカラです。 
本来その人が持っていなかったモノなので、ある日突然使えるようになったりします。
 
またチカラの源泉たる人外のモノの力量によって『出来ること』の質や強さは異なります。 
そして、そのチカラを付与していたモノが去れば、同時にチカラも無くなるのです。
 
私の霊能力に対する考え方というのは以上のようなモノです。
で、最近霊能力について以下のような文章を拝見しました↓
霊力をコントロールするのに潜在意識を使う人というのは、シンボリックな言葉、図形、所作などを重視し、「権威ある形式」が力をもたらすと考えがちです。 そうではなく意識的に霊力を扱える人は、意識するだけで手足のように霊力を扱えるので、「権威ある形式」に頼りません。
上の文章は何だか小難しいので独断と偏見で分かりやすくしてみます。
「世の中にはマントラを唱えたり、魔法陣を書いたり、印を結んだりみたいな「権威ある形式」を行わなければ霊能力を発現させられないと考えてる人が多い。でも、本当に霊能力のある人間はそんな形式なんか頼らなくても使おうと思っただけで霊能力を使えるのだ!」って感じでしょうか?
 
まあ、趣味でも最初に道具一式揃えてカタチから入るって人もいますから、カタチを真似るってこと自体全部悪いってわけではありません。
ただ、そのカタチで呼び込んでるチカラが、どんなチカラかが重要です。
 
ハッキリ申し上げてマントラを唱えたり、印を結んだりし続けて、手に入れるチカラって十中八九最初に述べた『人外のモノから与えられたチカラ』でしょう。
だからといって意識するだけで手足のように扱えるチカラの方も『人外のモノから与えられたチカラ』でない保証はないのですがね…
 
結局一番大切なのは『霊能力を使うためのやり方・カタチ』などではなく、「そのチカラの源泉が何処なのか?」ってところです。
 
 
 
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