向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。
また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね…
とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。
復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。
「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。
その人好みに取捨選択されコーディネートされていない『事実』など何処にもないということなのです。
「当たり前じゃないか!」とおっしゃる方も少なからずいらっしゃるでしょう。
しかし、「自分の主観と離れたところに永久不滅の真理なるモノが存在する」と考える人もまた大勢いらっしゃいます。
「自分の主観と離れたところに永久不滅の真理なるモノが存在する」と考える方々は物事に肉迫しようと試みます。
時間的にも空間的にも「間合いを詰める」ってことです。
しかし、間合いを詰めたせいで返って物事が見えなくなったりすることもあります。
それは自分の先入観を計算に入れず無闇に接近しすぎたせいです。
いわばピントを合わさずにどアップで撮った写真みたいなものなのです。
物事を俯瞰的に見ることが大切だということをこれまで何度か書いてきました。
それは自分の主観から少しでも離れて物事を見るための『間を取る』ということです。
『間合いを詰める』の反対です。
例えば頭が混乱したらそのまま考え続けても良い答えが出ることはほとんどありません。
一回考えるのをやめて横に置いといて頭を冷ましてからもう一度取り出して考えた方が物事は見やすくなるのです。
それが時間的に『間を取る』ってことです。
それとは別に頭が煮詰まったら散歩とかに出て、一度外の空気を吸ってくるって方法もあります。
それが空間的に『間を取る』ってことです。
もちろん間を取ったからといって先入観がすべて無くなるわけじゃありません。
でも、その間があることによって物事が色々と見やすくなるのは確かです。
それと逆に間合いを詰めれば詰めるほど心は窮屈になります。
色んな意味で緊張感は高まるのです。
そういった緊張感がすべて不必要とは申しませんが、緊張感が高まり過ぎれば遅かれ早かれ心は歪みます。
そうなる前にいっぺん間を取って自分の空気感を変えるってことも一つの手だと思うのです。
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