所謂『この世』というのは言ってみれば「学校の夏休み」みたいな世界だと思うのです。
どういうことかというと「ある一定期間 (人生) の中で自分がやるべき宿題を抱えて『敢えて』やって来ている世界だ」ということです。
その宿題を夏休みの期間中 (生きてる間)どういうやり方で進めるかは、すべて当人に任されています。
ていうか何のマニュアルもないので、当人のやり方で進めるしか道はありません。
ただ、その宿題は休みが終わった時 (亡くなった時) には提出しなくちゃならないモノです。
進捗具合に関わらず(出来てないなら出来てないなりに)、出すことを求められます。
ていうかその宿題をやり切って、最後まで完結させる人はほとんどいないでしょう。
なので、この「夏休みの宿題」が出来たところから、次の人生をリセットして始めるのが、所謂一つの『生まれ変わり』というモノではないかと思われます。
もしそれが当たりだとしたら、どんな偉人聖人であっても、この世に生まれてきている時点で「前回の宿題をやり切ってはいない」ということになります。
やり切ってたら、この世界に生まれてくる必要がありませんから。
とはいえ厳密な意味でいえば「人は生まれ変わらない」と個人的には思っています。
じゃあ、死んだらそれで終わりかといえばそうではなくて、大元の大きな魂に人生の『記録』として帰っていくのではないでしょうか?
一人分の魂が生まれて死んで生まれて死んでを延々と繰り返す所謂『輪廻転生』はないってことです。
人はこの世に来る時、「コンピュータでいうクラウド」のような『巨大な記録の塊』に蓄えられている、『前世にコンプリートできなかった宿題』の記録の一部を付与されて、生まれてきます。
その記録は、場合によっては1人ではなく複数人の記憶の抜粋かもしれません。
例によって例のごとく独断と妄想ではありますが、輪廻転生についてこれまで以上のように申し上げてまいりました。
要するに個々の魂ってのは、元々同じ記憶の塊から分裂したモノだってことです。
それは、今の人類がすべて同じ先祖から分岐したモノでるということにどこか似ています。
ただ、個人的にずっと疑問に思っているのは、「なぜ人間は人生における宿題というモノをハッキリと認識できないのか?」という点です。
内容の詳細はともかく人生に宿題があるってことさえ認識しないまま一生を終える人も少なくない気がします。
もちろん中には、宗教的あるいは哲学的な考察を日常の中で深く掘り下げている人もいらっしゃるでしょう。
ただ、多くの人々は、生活に追われ、宿題などというモノとは無縁に生きているように見えます。
それでも、宿題があるのだとすれば、宿題もまたありふれた日常の中に存在するのでしょう、
ありふれた日常をコツコツこなすことが宿題をこなすためにも大切だということです。
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