例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。
実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。
置き換えると『現実にネガティブな感情が自分を含めて人間には存在していることを単に認識すること』と『実際ネガティブな感情があるのだから怒りやら妬みやらが存在するほうが当然なんだよ!と思うこと』は全然違う話だということです。
つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と肯定すること』は別なんです。
何度もしつこく言いましたが、この2つのことをごちゃごちゃにして「あるんだから素直に認めろよ!」的なことをおっしゃる方が結構多い気がするのです。
意図的であろうとそうでなかろうとね…
「盗むのも殺すのも犯すのも人間の本性。でもその本性を理性で抑制するのが社会的生物としての人間」みたいな文章を以前拝見したことがあります。
一種の性悪説なのでしょう。
本来悪である本性を抑え込めるのが、社会的生き物としての人間らしさってことがおっしゃりたいのかもしれません…
もちろん誰の心の中にもドス黒いドロドロとした部分は大なり小なりあるものです。
「一片の邪悪ささえ持ち合わせていない」という人間は古今東西一人も存在しません。
しかしながら、「人が現実として邪悪さを持っているということ」と「その邪悪さを普遍的な『本性』と認識し、「人間なんてどうせそんなもんだ!」と達観すること」は別の話です。
その二つをごちゃ混ぜにしてしまうと心は迷います。
もう少し身近な例を挙げれば、不倫ってのがあります。
「現実社会に不倫をする人が少なからずいること」と「犯すことは人間の本性である」という前提のもと「人間が不倫するのは事の必然なのだ!」と認識すること」は全然別の話です。
不倫しようとするならそこには現実的な『意志と行動』というハードルが存在するからです。 この『意志と行動というハードル』は、盗むのにも殺すのにも当然存在します。
寝ることや食べることなどにはそんなハードルは存在しません。
それはその行為が人間が生きることに直結しているからです。
人間に本性というモノがあるなら、それは生きることに直結しているはずです。
よって、盗むのも殺すのも犯すのも人間の本性ではないと考えます。
理性で心を抑え続ければ続けるほど、心の働きは鈍くなっていくでしょう。
物事は、無理やり押さえ付けても結局良いことにならないように出来ています。
ヒーリングを習いませんか?
orion12 | プロフィール | ブログサークル
※ お知らせ
現在ご要望があれば日曜祝日にも遠隔ヒーリングを行っております!
また時間外の施術であっても可能な限り対応させていただきますので、御希望があれば一度お問い合わせください。
営業時間 (日曜除く) :月~土 10:00~19:00
ご予約はメールにて24時間受け付けております。
当方で予定を確認の上返信申し上げますのでお待ちください。
メール:o-akio@n.vodafone.ne.jp
orion12 | プロフィール | ブログサークル
※ お知らせ
現在ご要望があれば日曜祝日にも遠隔ヒーリングを行っております!
また時間外の施術であっても可能な限り対応させていただきますので、御希望があれば一度お問い合わせください。
営業時間 (日曜除く) :月~土 10:00~19:00
ご予約はメールにて24時間受け付けております。
当方で予定を確認の上返信申し上げますのでお待ちください。
メール:o-akio@n.vodafone.ne.jp