実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。
置き換えると『現実に人間社会に存在している事柄を単に認識すること』と『実際にその事柄があるのだから肯定されて然るべきだ!と思うこと』は全然違う話だということです。
つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と肯定すること』は別なんです。
何度もしつこく言いましたが、この2つのことをごちゃごちゃにして「あるんだから素直に認めろよ!」的なことをおっしゃる方が結構多い気がします。
或いは目の前の事実に迎合して「キレイゴトを言うなよ」と鼻で笑ってみたりね…
「認識すること」と「容認すること」をごちゃ混ぜにすればするほど、その人の心の中では自分か容認したモノが『あって当たり前のこと』として馴染んでいきます。
あくまでもその人の心の中での話ですけどね…
以上のようなことをこれまで何度も述べてきました。
「事実を単に認識すること」と「真実として丸ごと呑み込んで容認することは違う」って話をね!
最近よく感じるのは「ルール至上主義みたいなモノを信奉している人が世の中には思いの外多いなぁ」ってことです。
ここでいうルールというのは「社会の法律、会社や学校の規則、スポーツ等のルール」をひっくるめたモノを指します。
ルールというのは物事が円滑に行えるようにする道具の一つだと思います。
一方ルール至上主義のいうルールは価値観の主要な部分を表しています。
それは簡単にいえば「ルール内に収まっている状態=善、ルール外に出ると悪」みたいな価値観です。
なので、ルール至上主義からすれば、ルールさえ守っていれば何の問題もないって考えになりがちです。
そういう考え方の人たちにとって、合法的というのは何よりの勲章に見えるのでしょう。
ただ、ルールには悪いルールだって「無きにしも非ず」です。 例えばむかしナチスの作った全権委任法という法律があります。
この法律は賛否はともかく合法的に作られたことは否定できない事実です。
ただし、その事実を容認するかどうかはまた別の問題となります。
最初の話に戻すと『現実に人間社会に◯◯というルールが存在していることを認識すること』と『そのルールがすでに存在するのだから肯定的に捉えられて当然であると考えること』は全然違う話だということです。
つまり、「そのルールが社会にあることを単に認めること」と「そのルールがあるのだから、そのルールの内容が全面的に認められるべき価値観を有しているに違いない!」と信じることは別の話だってことです。
今どきの日本人には特に「合法的である」とか「ルールに則った」とかいう言葉に夢を見すぎる人が多い気がするので、気をつけた方がいいんじゃないでしょうか?
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