例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。
実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』の社会です。
つまり、『現実に存在することを単に事実として認識すること』と『その事実を肯定的に受け入れ、本来あるべき姿として容認すること』は別モノだってことです。
でも、世の中には認識と容認、この2つを一緒くたにしてしまう人が実に多いです。
そして「実際にあるんだから素直に認めろよ!」的なことをおっしゃいます。
或いは目の前のうす汚い事実に調子を合わせて「キレイゴトを言うなよ!」と鼻で笑ってみたりするのです…
「認識すること」と「容認すること」をごちゃ混ぜにすればするほど、その人の心の中では自分か容認したモノが『あって当たり前のこと』として馴染んでいきます。
あくまでもその人の心の中での話ですけどね…
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。
「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。
その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。
ここのところは非常に重要な部分だと思います。
簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界も歪む」のです。
ていうか誰しも大なり小なり見方は歪んでいます。
そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほどそれを正当なモノだと信じだすのです。
歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。
どんな歪みであれその歪みが当たり前になった時点で「慣れた」ということです。
人は自分の『慣れ』に対して無自覚になればなるほど、それが「絶対正しい!」と思い込みます。
単なる『慣れ』に過ぎないモノに対してね…
繰り返しになりますが、『慣れ』とはある一定方向への心の歪みです。
その『歪み』があるからこそ日常における色んなルーティンワークとかを一々考えないでスムーズに出来たりもするので、『歪み』自体は別に善でも悪でもありません。
善でも悪でもありませんが、人は慣れに馴染みすぎると、それがまるで絶対的な真実か何かのように思いがちになります。
そのことを忘れない方がいいでしょう。
そうじゃないと自分の歪みにドンドン無自覚になりますからね。
折りにふれ、自分の心の歪みを歪みとして認識することが大切です。
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