私にとっては但し書きってのが一つのバロメーターになります。
『タダシ書き』が付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。
タダシ書きってのは往々にしてダブルスタンダードの隠れ蓑として使われます。
ここでいうダブルスタンダードというのは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な矛盾した考え方のことです。
このダブルスタンダードの大きな問題としてはそれにハマっている人の多くが自分がダブルスタンダードだとは思ってないというところです。
「自分は何時も真実の側にいる」と信じているゆえにそうなるのだと思います。
で、辻褄が合わなくなります。
そして、辻褄が合わなくても気付かないのです。
何故かといえば考えることにタダシ書きが多いからです。
タダシ書きが付くことで何とな〜く辻褄が合ったような気分になれるのです。
例えば「酒席などでブサイクな男が下ネタを一言でも言ったらセクハラだけど、超絶イケメンならセクハラにはならない!」みたいなことをおっしゃる方がいらっしゃいます。
それを頭の中だけで思うのは、個々の自由でしょう。
ただ、それを公然と表明するならば、ダブルスタンダードです。
ダブルスタンダードになる本音をむき出しにしてしまえば、色んなことの辻褄が合わなくなっていくでしょう…
「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。
たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。
この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。
ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすくモノゴトの辻褄ってのは合うものだ」という『素朴な信仰』に基づいているのです。
別の言い方をするなら、それは森羅万象すべての物事に対して(ご自分にとっての)完璧な調和と整合性を求め続けている状態を指します。
またその答えを求められるものだと本気で信じているってことです。
ただ、現実というモノは、大抵理不尽で不条理に出来ています。
ここでいう「理不尽で不条理」というのは、分かりやすく辻褄なんて合わないってことです。
でも、それは「ダブルスタンダードOK!」っていう話ではありません。
1+1=2にむやみにタダシ書きをつけると「世の中何でもあり!」ってことになってしまいますので!
関連記事 詭弁の道具としてのタダシ書き - 『クリアー整体ヒーリング』です
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