眼に見えない世界のことはハッキリとした裏が取れません。
なので、言いたい放題になりがちです。
だから、誰かの言ってることが真っ当かどうかを判断する場合何らかの物差しが必要です。
私にとっては但し書きってのが一つのバロメーターになります。
『タダシ書き』が付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。
タダシ書きってのは往々にしてダブルスタンダードの隠れ蓑として使われます。
ここでいうダブルスタンダードというのは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な矛盾した考え方のことです。
相対的な現実を絶対的なものとして固定化すると必ずそうなります。
現実は揺れ動いていますし、それに連れて自分という存在も常に揺れ動いているからです。
動いてるものを動かないものとして捉えれば歪みが出るのは当然です。
その歪みの一つがダブルスタンダードということです。
それどころか大半は「自分は何時も真実の側にいる」と信じています。
で、辻褄が合わなくなります。
そして、辻褄が合わなくても気付かないのです。
或いは気付かないフリが『自分』に対して出来てしまうのです。
何故かといえば考えることにタダシ書きが多いからです。
タダシ書きが付くことで何とな〜く辻褄が合ったような気になるのです。
「神は、人の求める姿で現れる」というのが、神さまからの答え。創造主(神さま)・真理はひとつだけれど、その国、その土地に合った言葉と思想で、人々が理解しやすいように、人々の求めるものに寄り添って語られる。神さまの姿も、それぞれの国の人々の求める姿で現れるのだと。
以上を要約すると「神は一つである。ただし、人の求める姿で現れるモノなので、個々の人間の考える神が違っててもそれは当然なのだ!」って感じでしょうか?
いわば「同じだけど、違う! 違ってても同じでなのである!」というダブルスタンダードです。
何があろうと「神が人の求める姿で現れただけだ」といえばオールOKなので。
でも、こういうやり方は別にスピリチュアルな世界に限ったことではなくて、日々のニュースを見ていてもこの手のダブルスタンダードを振り回す人は大勢いらっしゃいます。
『神』の代わりに『自由』だの『平等』だのという概念を振り回しながら…
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