じゃあ、なぜ自分を相対化出来なくなるのかというと『自分だけを別枠にして考えるクセ』が付いてしまってるからです。
太っている人が「デザートを別枠!」とかしたがるようにね…
「自分はいつも正しい!」というコダワリが心の視野の狭さを助長しているのだと思います。 「自分がいつも正しい!」というコダワリに取り憑かれると思考が必ずダブルスタンダードになるからです。
ここでいうダブルスタンダードとは「同じようなことをしていても自分は何時も正しいけど相手は間違っている」という風な精神的矛盾のことです。
このダブルスタンダードの大きな問題点は、それにハマっている人の多くが「自分がダブルスタンダードだとはちっとも思ってない」というところです。
ただ、そうするとそのうち自分の内側と外側の世界との辻褄が合わなくなっていきます。
「いつも必ず正しい!」なんて人はこの世に一人も存在しないからです。
そんな『ありもしないこと』を普通に「あるんだ!」と考えるわけですから、辻褄が合わなくなって当然なのです。
しかし、それでもその人たちの内側では辻褄は合っている『設定』になっているのでしょう。
その『設定』を可能とするのは、その人独自の世界観(物事を計る心のモノサシ)です。
それは「真実は自分ないし自分の仲間のみが知っており、他の人々はマヤカシの世界に生きている」という映画マトリックスのような世界観です。
要するにそういう人たちは、すべてを自分に都合のいいように歪めて受け止めることのできる『心のクセ』が憑いているのです。
だからこそダブルスタンダードな状態でいても何の矛盾も感じず平気でいられるのでしょう。
例えば世界的にもポピュラーな宗教では「隣人を敬え!」的なことを教えている一方で、異教徒に対しては冷酷非情な仕打ちをしてもOKみたいなことがその経典に書かれていたりします。
個人的にはコテコテのダブルスタンダードだなと思うのですが、信者さんたちだけではなく、世間一般の多くの人たちかその件についてスルーしています。
もちろん何も知らない人も多いのかもしれません。(特に日本は信者さんが少ないので)
でも、世界的に見れば億単位の人たちが当たり前に信奉している考え方なのに、何でオカシイと思わないのだろうと不思議なのです。
そこに独特の『心の視野の狭さ』を感じてしまいます。
まあ、もちろんだれが何を信じようとそれぞれの人の自由だと思います。
ここで言いたいのは「ダブルスタンダードに心が染まると、矛盾を矛盾だと感じられなくなってしまうってことです。
そうなれば、その人の内側の世界はどんどん歪んでいくでしょう。
そこが『問題』なのです。
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