『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

無知と知識と万能感

何かを知るということは、その分『己れの無知』を知ることでもあります。
知識を得れば得るほど、それ以上に知らないことの多さにも気付かされるからです。

なので、得てして知るということには苦しさが伴ったりします。
その苦しさがイヤで、知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。

ただ、一方で「物事は知れば知るほど上手くいくはずだ!」と単純に信じている人も世の中には一定数いらっしゃいます。
そういう人たちは『知ることの闇』を舐めているのでしょう。
「知れば知るほどこんがらがって、訳が分からなくなる」なんて事例は、古今東西ゴロゴロ転がっているからです。

ヘタな希望は簡単に絶望に置き換わります。
「絶望を友として希望に向かって進む」くらいで丁度良いのではないでしょうか?

所謂霊的なことについて知ることも、自分が何も知っていないと思い知ることでもあります。
知らないことに対する不安を味わうことでもあるのです。

知ることと知らないことの恐怖を一番味わうのが眼に見えない世界なのかもしれません。
元々『群盲象を撫でる』が如き世界だからです。

なのに、単純に「知れば知るほど上手くいく」と信じている人が一番多いのも所謂スピリチュアルな世界のように感じます。
少なからぬ数のスピリチュアルな人々が「自分は見えない世界の全てを知り尽くしているぜ!」的な感じを醸し出していたりします。
 
「自分は何でも分かっている!」という万能感に酔っているのです。
でも、それは「自分は何にも分かってない」と白状しているのと同じです。
 
もちろんそれはスピリチュアル界隈に限りません。
コロナ禍以来、その手の「この人万能感に酔っ払っているのかな?」と感じてしまうような人がものすごく増えた気がします。
 
知ることの怖さを理屈ではなく体感できるかどうかが運命の分かれ目じゃないかと改めて感じる今日この頃です。
それが出来ないと舞い上がって万能感の方へ心が突っ走ってしまうんじゃないでしょうか?
 
生きていく上で、知ることの怖さを理屈ではなく体感することは大切です。
自分の『知の少なさ』を、身をもって体験してきた人とそうでない人とでは、明らかに心の在り方に違いが出てきます。
 
その違いは、物事を俯瞰して捉えられる度合いの違いとして表れます。

物事を俯瞰して捉えられる度合いが大きい人ほど『心の懐』が深くなります。
逆に心の懐の浅いと、一般的な言葉でいう『小さい人間』になるでしょう。

関連記事 マヤカシだらけの世界と人間の無知 - 『クリアー整体ヒーリング』です

 
 
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