この世はどう転んだところで不確実性の世界です。
どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。
なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。
考えなければグラグラと迷う必要がないからです。
ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。
精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。
そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかです。
不確かな世界ではバランスを取り続ける意志を持たなければ結局のところ心は迷います。
心が迷うとはアンバランスなカタチに捻じ曲がるということです。
元々不確実なことを無理やり『安定』という枠に嵌めようとして物事の筋を間違えるからです。
不安定は不安を生み、不確実は恐怖を生みます。
だから、絶対に確実で安定したモノを求めたがるのです。
藁をもすがるような想いでね…
一般的な言葉でいえば、それは依存です。
依存とはある特定の物・人・思想などを盲信して、それにどっぷり浸かり、マヤカシの安定に身を委ねることです。
以前に上記のような話を書きました。
で、最近またこんな文章を拝見したのです
「生き方のモデルが見つけられずに迷っている時に、救世主のような人が現れて、「こう生きるのが正しい」と断言されたら、溺れる者は藁にも縋ってしまいがちです。社会が不安定で、将来に不安がある時などはなおさらです。」
宗教系やら自己啓発系やらの示す「生きることは〇〇だ!」みたいな強い言葉とリーダーシップにメロメロになる人は、決して特別な人間などではありません。
弱って弱って弱りまくった時、人は誰でも救世主やら英雄やらに縋りついてしまうものです。
或いはいわゆる一つの神にすがりつきます。
例えばお腹いっぱい食べられるような状況なら、誰だって一杯の水に心動かされたりはしません。
でも、水分補給がマトモにできず、喉が渇いて渇いて仕方ない時に一杯の水がもたらす喜びはものすごいモノがあります。
そういう状況において、心に何らかの刷り込みが行われれば、心には強度の依存が生まれるのです。
強度の依存を避けるためには常に心のバランスを取り続けるしかありません。
具体的には自分の心が思考停止でいびつになってないか?定期的に確認し続ける必要があります。
そのためには『絶対』を疑うことです。
ていうか「絶対などこの世には無いことを知ること」です。
それが大切だと改めて強く思う今日この頃です。
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