みんな自分が正しいと思っているからです。
もしその100人の中の1人が自分の「正しい!」を何処までも妥協なく押し通そうとすれば最終的に何らかのチカラを行使して相手を捩じ伏せるしかなくなります。
万人が心から納得する「正しい!」なんて何処にもないからです。
知力・暴力・権力…それが如何なるチカラであれ、チカラを年がら年中行使し続けることを是とするならば、遅かれ早かれ他者に対する『オラついた気持ち』が染み付いていくでしょう。
『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ですので、心は殺伐とせざるを得ません。
じゃあ、『正しいの比べっこ』というのは本質的に「やってやられて」の世界ってのはどういうことかというと正しい!って想いは自己完結しないモノであるということです。
「正しい!って想いは自己完結しないモノである」というのはどういうことかと言うと「正しい!ってのはそもそも他者との相対性の中でしか成り立たない」ということです。
だから、『正しいの比べっこ』は構造的に「自分が正しいと思ってるモノを一方的に他人にも正しいと認めさせたい!」という承認欲求のぶつかり合いになるのです。
「自分が正しい!」というコダワリが強くなればなるほど遅かれ早かれ他者に、自分の正しい!を押し付けたくなることでしょう。
そして、自分の「正しい!」を他者に押し付ければ押し付けるほど、心の許容量は必然的に減少していきます。
単純に考えてみてください。
「自分が正しい! 自分が正しい!」と年がら年中考え続けているような人が他人に対して『寛容』でいられるかどうかを。
じゃあ、自分の正しいに囚われた人は結局どうなっていくのでしょうか?
答えは「会話が成立しなくなる」です。
相手の言うことをまともに聞けなくなるためです。
どうして相手の言うことを聞けなくなるかというと、自家製の「正しい!」だけで何でも判断するようになるからです。
以上が「『正しいの比べっこ』をし続けると人はどうなるか?」についての一つの答えです。
それでは、「人は自分なりの正しい!を持ってはいけないのか?」というとそんなことはないと思います。
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているからです。
「見たいものを見たいように見ている」とは「全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ている」ということです。
人間は元々主観的な存在です。
主観というものには大なり小なり『偏り』が存在しています。
その偏った主観 (偏見) がここでいう色眼鏡です。
それぞれがそれぞれの色眼鏡で見ている「正しい!」は常に一定の偏りがあります。
だからこそ「相手には自分には分からないかもしれないが、相手には相手なりの正しいがあるのかもしれない」という『想像力』を失わないように努力しなければなりません。
そうじゃなければ、人間は『絶対的な正しさ』という迷妄の闇にすぐに堕ちていくことになるからです。
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