「物事に過剰に意味を見出そう」というのは何にでも誰もが納得するようなオチを付けたがるということです。
怪談でいえば「由来はよく分からないけど単に幽霊が出ました」なんて話より「ああ、だから出るのね!」みたいな分かりやすい因縁話がくっ付いてたほうが誰もが納得します。
まぁ、そういうのは別に怪談とは限りませんがね…
眼に見えない世界の事柄なんてのは人間ごときが何時もオチを付けられるほど分かりやすくは出来てません。
むしろ掴み所の無いような感じだったりする方が普通な気がします。
一部の方々はオカルティックな叡智を手に入れれば物事の本質を分かりやすく掴めるようになると信じています。
しかし、それも本質の一部のそのまた一部がほんのちょっとだけ分かるくらいの話ではないかと思われます。
人間が分かる程度の物事の本質なんて世界の全体像からすれば1ミクロンほどのささやかな範囲でしょう。
人間の分かることはどこまで行ってもそんな程度じゃないでしょうか?
何故なら、物事の本質のスケールが人間の認識能力に対してあまりにデカすぎるからです。
まさに「群盲象を撫でる」が如き状態です。
で、どこまで行ってもそんな感じであるのなら、人間の側で自分らが認識できるテリトリーの境界線をそれなりに引くしかありません。
もちろんそれは仮の境界線であって常に変わりゆくモノとして存在するわけですが…
その仮の境界線を引く作業がこのブログで度々申し上げてきた「心のバランスを取る」ということです。
分からないことを無理に分かった気になるとバランスは崩れます。
『分かること』と『分からないこと』の認識の境界線をケースバイケースで変化させていくことで心のバランスは取れるのです。
だから、物事に過剰に意味を見出そうとすると必ずバランスは崩れます。
心が硬直化して、認識の境界線を変化させることが出来なくなるからです。
以前上記のようなことを述べました。
昨今の世界の情勢を見ていますと、「物事に過剰に意味を見出そう」とする人は増えてきていると感じます。
何でもかんでもエビデンス!エビデンス!とかおっしゃる人たちは、その類いの方であろうと思われます。
大体根拠という分かりやすい日本語があるのに、何でわざわざ分かりにくい言葉を使いたがるのかが分かりませんが…
「いつでもどこでも誰にでも分かりやすい根拠なんてないのだ」という認識が大切だと改めて感じる今日この頃です。
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