そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ?
実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか?
もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟でもモノでもない!」ってことです。
少なくとも個人的にはそう思ってます。
そもそも生き物を種という『単位』で見たら、「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。
例えばナマケモノみたいな生き物が現在も生息しているのは、人間が勝手に考える優勝劣敗なんて『ちっちゃな理屈』とはまた違う、それ相応の『大きな理由』があってこそ、この地球上に存在できている気がするのです。
その存在そのものか弱肉強食・適者生存の類いだけがこの世のコトワリではないという『動かぬ証拠』ではないでしょうか?
誤解のないように申し上げれば、「競争は絶対悪だから、競争は一切否定する!」なんて極端なことが言いたいわけではありません。
否定しようと肯定しようと競争ってのはリアルな人間社会に存在していますからね。
ただ、だからといって「『弱い者・敗れた者は淘汰されて当たり前』的な理屈をこの世界の絶対的な真理として受け入れろ!」なんて話をされても困るのです。
この世界はもとより『人間だけが住む世界』ではありませんから。
何故そんなことを何度も言うかというと「優勝劣敗、弱肉強食がこの世界の『絶対的な標準』だ!」みたいな考え方に心を侵食されている人が、現在どんどん増えているなと強く感じているからです。
競争に偏重した心は、自分も他人も諸共に『不幸』するでしょう。
もしそれで、その時その場の生存競争に一時的に勝てたとしてもね…
以上のようなことをこれまでこのブログで述べてきました。
行き過ぎた競争至上主義は人の心も人間の社会も歪めるという意味でね。
世の中で語られることが多くなった自己責任論ってのも「世界は競争で出来ている」という価値観から派生しているのでしょう。
その手の価値観は、連帯と融和より圧倒的多くの摩擦と敵対を生み出し、摩擦と敵対は社会に殺伐さを生み出していきます。
地を覆う血腥い殺伐さこそが競争至上主義の行き着く果てなんだろうと思います。
競争ってのはチカラ比べです。
競争至上主義者とは「世界のすべてはチカラ比べで出来ている」と信じる者のことです。
だからこそ、その人たちにとっては弱者はすべて『平等なる競争』の敗者であり、自分のチカラ比べ(その人の人生)のあらゆる責任を自前で取るべきだ(自己責任)と考えるのでしょう。
その認識が相手の心にとどまらず、自分の心も同時に腐らせていることに気付かないままね…
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