森羅万象すべてのモノには波動があります。
波動があるというのは常に動いているということです。
動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。
そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。
動き続ければブレやらズレやらユガミやらが必然的に現れます。
そのブレやらズレやらユガミやらを毎日コツコツ修正する作業がある意味『生きる』ということなんじゃないでしょうか。
生あるものにとって「不変とは澱むこと」に他なりません。
生きてきた時間のある一ヶ所に踏みとどまろうとすれば劣化していきます。
つまりは未来へ向かって進んでいくしか『手』はないのです。
この世で生き続けるにはそれしか『道』はありません。
けれど、その『道』を進めば必ずブレます。
「自分は決してブレない!」って宣言するのは「自らの生きる『道』を捨てた」と言ってるのに等しいのです。
古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。
「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。
その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。
もっと簡単に言えば、「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が持っている」ということです。
つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。
だから、人間は元々主観的な存在です。
純粋に客観的な視点を持つ人間などというものは一人も存在しません。
主観というものには大なり小なり偏りが存在します。
一人一人が見てる『世界』というのにはそれぞれに常に固有の偏りがあるということです。
人は偏ってるから、進めば必ずブレるのです。
そのブレを小まめに修正していかないと心のバランスは崩れます。
バランスを崩したままほっとけば心は振り切れて何処かへぶっ飛んでいくでしょう…
しつこく何度も以上のようなことを書いてきました。
何故かといえば『不変のブレない自分軸』みたいなモノを盛んに求めたがる人が後からあとからワラワラと湧いてくるからです。
この『ブレない自分』ってのも、所謂一つの『不老不死』と似たようなモノなのかなと最近思うのです。
元々ブレるように出来ている人間という存在をブレない自分に変化させようと試みるのは、『生者必滅』のコトワリをブッ壊して永遠の命を得ようとするようなモノなんじゃないかとね…
つまり、見果てぬ夢だってことです。
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