生き物というものはエネルギーの出し入れを行うことで生きるチカラを得ています。
分かりやすい例で言えば呼吸です。
吸っては吐いてを死ぬまで繰り返しています。
でも、呼吸というのはそこら辺にある空気をざっくり吸い込むことしか出来ません。
身体に良い成分のみを前もって選別して吸い込むなんて芸当は出来ないのです。
呼吸に限らずエネルギーの出し入れというのは全てそういう仕組みになっています。
まとめて全部取り込んでから必要なものだけ吸収して不要なものは排泄してしまうという構造です。
どんな人であれエネルギー源として様々なモノをまとめて自分の中に取り込むという作業をずっと続けています。
生まれてから死ぬまで絶えることなくね。
まとめて全部取り込む方式ですから取り込む際にその場その場で事前に分別することは出来ません。
取り込むか取り込まないか自体を決めることは可能ですがね。
であるなら当然純度100%の良いものだけをいつでも何処でも取り込むなんてことは初めから不可能なのです。
何であれ「取り込むものにはある一定の不純物は混ざるもんだ」という認識が必要になります。
つまり、心であれ身体であれ『不純物を含んだ自分』という存在と折り合いを付けながら進むしかないのです。
折り合いを付けるというのは「純度100%という幻想を追いかけない」ってことです。
ただ、世の中には0か100かの分かりやすさを求める人が結構いらっしゃいます。
「右か左か、上か下か、あやふやなことは言うなよ!」みたいな感じでね。
例えばこんな風に↓
霊障は、有るか無いかどちからであり、少しぐらいなら有っても大丈夫というものではありません。 有ること自体がおかしいのですから、少しぐらいあってもと考えるのであれば受け入れるということになり、病気も、その他の不具合も同じく受け入れることになります。
この方によると「霊障ってのは有るか無いか二つに一つなのである」ってことのようです。
霊障も病気もその他の不具合も1ミリでも受け入れたら即失格!って感じです。
でもね、生きるっていうことはもっと曖昧模糊としてどっち付かずのモノなのではないかと感じます。
絶えず心と身体のバランスを取り続けて、あっちへぶつかり、こっちでつまずきながら試行錯誤繰り返して進むのが人生ってヤツでしょう。
0か100かしかない在り方ってのは遅かれ早かれ心を迷子にします。
霊的にも肉体的にもね。
人間の体は絶えずどこかが毀れている、そしてそれを、絶えずどこかで治している。毀したり治したりしながら生きているのである。だから、治っているから健康であるとか、毀れているから病気であるとかの区別はつけられない。『整体』という言葉を作った男 野口晴哉
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