人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。
怒ったりも羨んだりもするものです。
快楽もあれば苦痛もあります。
そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。
そういった『人間の日常』に根ざしたありふれた平衡感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。
それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。
生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力と申しましょうか…
つまり、勘ってのは選ばれた特別な人だけが持つ特殊能力などではないということです。
それどころかどこにでも誰にでもある、もっと言えば人間以外の生物も持っている生きるためのチカラです。
生きるためのチカラというのは死なないためのセンサーでもあります。
言い換えるなら、いざという時の危機察知能力というのは、ごく普通の日常生活の中にある平衡感覚に支えられているということです。
つまり、平衡感覚を磨くことが『勘』を鋭くすることに通じるわけです。
なので、勘を働かせるためには五感の鋭さが必要であり、五感の鋭さを鈍らせないような心の在り方が必要になってきます。
勘を生まれる過程で必ず理屈を飛び越えて感覚的に何かを知るということが起こるからです。
この「理屈を飛び越えて感覚的に何かを知る」ということに素直になれるかどうかが勘を働かすための重要な要素になります。
すぐに「気のせいだ!」「見間違いだ!」「勘違いだ!」とやってるとその心の素直さが劣化してしまいます。
逆にいうと、『何気ない違和感を大切にすること』が勘を養うとも言えるでしょう。
ここ20年あまり人間世界はまるで遠心分離機にかけられたように白と黒、上と下、右と左という風に波動がハッキリと分かれ続けてきました。
昔ならあったはずのグレーゾーンがまったく無くなってしまいました…
「信じるか信じないかは貴方次第!」という言葉がありましたが、今は信じようと信じまいと様々なことがアラレもなく表側に現れるようになっています。
簡単にいえば「本性が隠せない時代になってきた」ってことです。
白黒ハッキリして、勘の働き方や個人個人の勘の鋭い・鈍いもまた以前より濃くハッキリしてきたように感じられます。
具体的には、勘というか感覚的なモノがビックリするほど鈍感な人が増えた気がするのです。
やっぱり心が鈍感になると人間らしさが失われていくんじゃないでしょうか?
人間だから当たり前に人間らしさを持っている時代は終わったのかもしれません…
orion12 | プロフィール | ブログサークル
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