遅かれ早かれその人の中に有るものは出てくるし、無いものは出てきません。
「今まで一度も出てきてないけど、実は昔からずっと持ってるんだよ」みたいなことはほぼほぼ無いんじゃないでしょうか?
「才能みたいな眼に見えないモノは、出てきても分からない」なんていう人かいたら眉に唾つけて見た方がいいです。
細かいことは分からなくても出てきてたら、その片鱗くらいは真っ当な感覚の持ち主なら分かるはずだからです。
それは幾ら最もらしいことを言っていても、心がこもってなければ「心がこもってないこと」を見破られてしまうのと同じです。
まぁ、どっちにしても上辺だけ見て騙される人は騙されるんでしょうけどね…
例えば映画とか小説の中で所謂オカルティックな出来事が描かれていたとします。
もちろん物語自体はフィクションなのですが、描かれ方によって「あっ、この人そういう感覚が何か分かる人なんだろうな」ってのは感じたりすることはよくあります。
で、どこに「あっ、この人何か分かる人だな」と感じるかというと大抵は筋書きとかの大きな部分ではなく、個々の場面のさりげない描写なんかに対してです。
それが自分の中の経験値に共鳴するのです。
感覚として似たようなモノを持っているから共鳴するのです。
ただし、それが現実の経験として似ているとは限りませんがね。
感覚が似てるからといって、よく似た経験を必ずしているとは限らないってことです。
あくまでも感覚としての共鳴性です。
「あっ、この感じ方自分も知ってる!」みたいなね。
そういう感覚の共鳴性みたいなモノがあるのか無いのかが物事を計るための大きなポイントになります。
眼に見えないモノに関しては特にね。
スピリチュアルな事柄を扱っていてもそのへんの感覚を軽視する人って結構いらっしゃいます。
そういう人はもっと机上の知識的なものを重視されるのです。
ぶっちゃけた話そういう人は私から見れば感覚が鈍いんだろうなと感じます。
感覚が鈍いからこそ机上の知識で補わなければならないのでしょうから。
別にオカルティックな物事でなくても、もっと現実的な事柄でも感覚の共鳴性は大事だと個人的には思っています。
感覚の共鳴性の薄いモノに深く関わると大概良いことにはなりません。
特定の個人ではなく、誰しもが大なり小なりそうなんじゃないかと感じます。
別の言い方をするなら机上の知識だけで突っ走ってもロクなことにはならないってことです。
一言でいえば心がしっくり来ないこととは深く関わらない方が無難だってことです。
特に男性に多いのですが、理屈の正しさに執着しすぎると大抵失敗します。
それこそ理屈じゃなくね…
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