ここでいう唯物論的な考え方ってのは簡単にいえば「自分がちゃんと見たり聞いたり触れたりするモノ以外はマヤカシだ!」って発想のことです。
例えば幽霊否定派の人はよく「幽霊なんているわけない!何故なら自分はそんなモノ見たことがないからだ!」みたいなことをおっしゃいます。
幽霊がいない根拠は結局「自分が見たことがない」ってことだけなのです。
唯物論的な考え方に染まれば染まるほど『世界』は自分サイズの時空間に収縮していきます。
あくまでも「その人自身に見えたり聞こえたり触れたりする世界が」の話ですけどね。
具体的にいうと先ほども申し上げたように、長くても自分の人生という時間のサイズ以内でしか物事を考えられなくなったりします。
あと、自分の社会経験の範囲内、それもいいとこ6割・7割くらいのサイズで思考するようになります。
もう一つ自分のよく行ったところ、住んだところなどで得た知識のサイズの、これもいいとこ6割・7割くらいで結論を導き出すようになるでしょう。
「世界が自分サイズの時空間に収縮する」とは大体こんな感じです。
諺でいうと「井の中の蛙大海を知らず」でしょうか。
で、『世界』が自分サイズの時空間に収縮すればするほど「この世の可成りの部分はテクニカルに操れるんじゃないか」と考える人が増えます。
全員そういう風になるわけではないでしょうが、そういう思考に囚われる人は少なくないのです。
その手のメンタリティを個人的に『操れる系』と呼んでいます。
つまり、唯物論的な考え方に染まるほど『操れる系』になりやすいということです。
『操れる系』の思考をされる方の多くが、「世界は自分の手のひらに乗ってる」みたいな気分になっているようにお見受けします。
それはひとえにその人に見えている世界のサイズが小さくなっているからだろうと感じます。要は心の視野が狭くなっているのです。
心の視野を広く保つには、『自分』の枠を超えた不可知の世界への畏れを失わない方がいいだろうと老婆心ながら思います。
で最近またこんな文章を拝見しました↓
人間以上の大きな存在がどこかに居ることすら認めないと人類はとことん傲慢で強権的になると思う。神をも恐れぬ傲慢さはいつか対価を払うことになる。
この世界には人間に今まで一度認知されたことがない『眼に見えない大きな存在』が山ほど存在します。
人間がこの世に現れる遥か太古の昔よりこの世界に居るモノたちです。
そういう『眼に見えない大きな存在』はこの世界の自然の中にひっそりと存在し、世界の秩序を護っていたりします。
「人間を」ではなく、「この世界を」護っているのです。
そういう存在への『畏れ』を持たなければ、人はいくらでも傲慢になっていくでしょう。
伸び放題に伸びた「天狗の鼻』がへし折られるその日まで…
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