ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。
そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。
今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。
簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。
じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。
「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。
もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。
それ以上でもそれ以下でもないのです。
一方この世界には人間が今まで一度もカミサマと認知したことがない『眼に見えない大きな存在』が山ほど存在するのです。
人間がこの世に現れる遥か太古の昔よりこの世界に居るモノたちです。
そういう『眼に見えない大きな存在』はこの世界の自然の中にひっそりと存在しています。
人にナニとも呼ばれず名前も付けられずに、わざわざ人と深く関わることなくね…
そういう存在たちがこの世界の秩序を護っていたりします。
人間をではなく、この世界のコトワリを護っているのです。
しかし、その存在たちはいわゆる神ではありません。
元より人に神と呼ばれたりしてないし、これからも呼ばれるような存在にはならないでしょう。
ただ、そういう存在への『畏れ』を無くしてしまえば、人はいくらでも傲慢になります。
自分らが自然を思い通りに操れると信じてしまう程度にはね…
今年10月から11月にかけて、散発的に鹿児島・熊本・しまなみ海道、香川県琴平、三重県熊野市などを旅してきました。
それは私にとっては『眼に見えない大きな存在』に対しての巡礼の旅でした。
巡礼とは書きましたが、実際はそんなに大層なことをしているわけでもなく、「その土地に行って、その場の空気を吸ってくる」といった行為をしているだけですがね(^_^;)
しかし、その「その土地に行って、その場の空気を吸ってくる」って行為は案外大切なことだと感じています。
個人的にそれを『場踏み』と呼んでいますが…
とはいえどこぞの霊能者みたいな人のように「神様に呼ばれて〇〇神社に行ってきました!」なんてスピリチュアル〜なお話でもありません。
「ただ行くべき所に行って、自分の中で頭を下げておけばいい」そう思っています。
今の世の中は良くも悪くもこの世のコトワリが揺らいでいらように見えます。
だから、『場踏み』の旅をもう少し続けられたらと願うのです。
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