例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。
実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力し続けるのが『現実』です。
つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、賛同すること』は別だってことです。
でも、世の中にはその2つのことをごちゃごちゃにして「実際に目の前に有るんだから、それを普遍的な真実として認めろよ!」的なことをおっしゃる方が結構多い気がします。
或いは目の前の事実に迎合して「もっとオトナになれよ!ゲンジツは厳しいぜ!」と鼻で笑ってみたりね…
或いは目の前の事実に迎合して「もっとオトナになれよ!ゲンジツは厳しいぜ!」と鼻で笑ってみたりね…
なぜそうなるかというと「認識すること」と「容認すること」をごちゃ混ぜにしてしまうからです。
ごちゃ混ぜにすればするほど、その人の心の中では自分が容認したモノが『不変の真実』のごとく馴染んでいきます。
でもね、人は結局自分の見たいモノを見たいように見ているだけなんですよね。
それは誰だって同じです。
純粋な客観的視点など誰も持ってはいないのです。
人間は何処まで行っても『主観的な存在』だってことです。
主観というものには大なり小なり偏りが存在します。
「自分の見たいモノを見たいように見ている」とは、一人一人が見ている『世界』というのにはそれぞれに常に偏りがあるということです。
この「自分が見ている世界には常に偏りが存在する」ってことを認識し続けることは非常に大切です。
その認識がなければ人間はすぐに「認識すること」と「容認すること」の違いが分からなくなるからです。
で、ここからが本題です。
今新型肺炎が流行ってますが、それについても色々と頭の中でごちゃ混ぜになってる人が大勢いらっしゃるようにお見受けします。
違う話ですが、ごちゃ混ぜにて防疫は無駄みたいなことまで言い出す人が少なからずいらっしゃいます。
一歩進んで『新型肺炎はデマだ論』を声高に唱える人まで現れる始末です。
「自分は幽霊なんて見たことないから、幽霊なんて存在するわけない!」論と同じような筋立てに個人的には見えます。
「自分の半径3メートルくらいの事実だけを見て、それが普遍的な現実である」と勘違いしているように見えるのです。
もちろん何をお信じになるのも個人の自由でしょう。
ただし、『防疫は無駄』論の人も新型肺炎自体の存在は認めているはずでしょうから、「体の弱ってる人・既往症のある人に自分がウイルスを移す可能性」についてほんの少しくらいは『想像力』を持ってほしいと強く強く望むのです。
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