『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

「話せば分かり合えるはずだ」というファンタジー

何かを知るということはその分『己れの無知』を知ることでもあります。
一筋の光に気付けばその周りの闇の深さを否応なく思い知らされるのです。
 
なので、得てして知るということにはある一定の苦しさを伴うものです。
その苦しさがイヤでイヤで知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。
 
「話せば分かる!」という人は『知ることの闇』を舐めています。 
「互いを知れば必ず分かり合える」なんておっしゃるのは知りたくない人の苦しさを理解してない方の言い分です。
 
人間は何処まで行っても分かり合えないかも知れないけど、それでも分かり合おうとするしか術がない生き物です。
アレヤコレヤを呑み込んでそれでも前に進もうとするしかありません。
 
ヘタな希望は簡単に絶望に置き換わります。
絶望を友にして希望に向かって進むくらいで丁度良いのではないでしょうか…
 
安易なファンタジーは人の心を毒します。
闇を見ることを拒否すれば光を見ることも出来なくなるのです。
 
光を見れなければマヤカシに溺れるしかなくなります。
マヤカシに希望を見出すしか方法がなくなるのです。
 
だからこそ「同じ人間だもの。話せば分かる!」ではなく、「話したって何ひとつ伝わらないかも知れないけど、話さなくちゃならないことなら挫けずに話そう!」って思うのです。
何度でも繰り返しコツコツとね!
 
でもね、世の中にはとにかく話せば分かるって無邪気に信じてる人が少なくない気がします。
例えばこんな風に↓
人種差別されたことなんて一度もない。世界中の人は「日本から来たのか、いいなあ」ってお茶やお菓子を出してくれた。あったかかった。わかり合えたよ。差別なんて何それ?古いよって感じ。

何だか「人種差別は時代遅れな過去の産物だぜ!」って感じですよね。

まぁ、ここでは差別問題を深掘りすることはしませんが、差別が時代遅れって発想のベースには明らかに「人間話せば分かる」っていう無邪気な楽観主義があるように感じます。

 
本当にそんな簡単にみんなが分かり合えればいいですが、そうは問屋が卸しません。
で、そういう時話せば分かる派の人はどうするかというと、話しても分からないことがあるのを認めるのではなくて、多くの場合チカラ尽くで相手をねじ伏せて無理やり分かり合えたことにしようとします。
 
つまり、話したって分かり合えないこともあるって事実を認めず、偽りの『話せば分かるワールド』を堅持しようとするのです。
本当は「どこまで行っても分かり合えない生き物かも知れないけど、少しでも分かり合うために歩み寄ろうと試みる」ってのが人と人なんじゃないでしょうかねぇ…
 
 
 
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