『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

善悪と害益

人間にとっての『善悪』というのは確かにあります。
しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」です。
 
だから、善だの悪だのといったってどこかに普遍不動のモノとして独立して存在しているわけではありません。
どこかっていうのは人間とは全く無関係な「どこか」ってことですけどね…
 
善悪は普遍の真理などではないってことです。
十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』の一つに過ぎないのです。
要はどこまで行っても相対的なモノだってことです。
 
じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのか?
それは「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だと思います。
社会生活を行う上でのモラルとして善悪の判断は必要であるということです。
 
しかしながら、人間の社会というモノは有為転変止まるところを知らず、あっという間に変わりゆくモノです。
ということは当然その変化に合わせてモラルってヤツもドンドン変わっていきます。
 
人間社会のモラルが変わるってことはそれに連れて善悪が変わるってことです。
本質的に善悪は常に変わりゆくモノであるってことなのです。
 
それと似たモノに害益って概念があります。
例えば虫を「これは益虫」「あれは害虫」と仕分けして人間にとってそれが役に立つ虫なのか役に立たない虫なのかのモノサシとするのです。
人間にとって役に立つ虫が益虫、役に立たず、時には人間の生活の邪魔になる虫に害虫というレッテルを貼るのです。
 
害益で語られるのは、もちろん虫だけではありません。
世の中の様々なモノが害益で語られます。
 
しかし、その害益というのはあくまでも人間の自分勝手な都合によって決められた基準であることはハッキリしています。
つまり、害益ってのは下世話な損得勘定に基づく『値踏み』以外の何物でもないのです。
人類全体の損得勘定であれ、一個人の損得勘定であれね…
どんなに社会的に成功していても、どんなに地位、名誉、財産、知名度、権威などがあったとしても、何の目的意識も使命感もない人間は、霊的には無益なザコです。
当然ですが、使う言葉はその人の価値観を表しています。
無益なザコってのは、言葉を変えれば「使えねえな」ってことです。
それが誰にとってかは言うまでもないでしょう。
 
『人間の価値』を有益・無益で計りたがる人には近付かない方が無難です。
そういう人は十中八九、いつも人を自分の損得勘定で『値踏み』している人たちだからです。
 
 
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