よくテレビドラマとかの最初に出る定型文みたいなのがありますよね?
こういうヤツです↓
この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
このブログは基本的に私の実体験を基にその経験から導き出された「独断と偏見」または「独断と妄想」を文章にしたものです。
ただ、そのまんま書いては色々と差し障りが出ると困るので、それなりに『書くこと』に躊躇いがあったりもするのです。
なので、時には実名をボカしたり、時にはハードな内容はわざとソフトに緩めたりして語ってまいりました。
でも、それじゃピンボケ過ぎて、中々核心が伝わりにくいこともあるのかなって気が、最近特にするのです。
で、これからは実験的に「あくまでもこれはフィクションです!」という体(テイ)で、少し踏み込んだ内容の記事を時々書いてみようと考えております。
中身については『こんなの全部作り話だろ!」と思っていただいても結構だし、「幾ばくかの事実が含まれているかも知れない…」と思っていただいても結構です。
読む人にとって、少しでも何かのヒントになれば幸いと存じますm(_ _)m
じゃあ、今回のお話に行ってみましょう!
あまり明るい話ではないことを先に申し上げておきます。
人間社会というモノは、紆余曲折があるにしても、際限なく進歩する右肩上がりの曲線を描くものであるという幻想に支配されている。
よって個々の人間もその幻想に支配されざるを得ないのである。
そもそも人間社会はこれからもずっと発展する」という前提において政治も経済も社会システムも全部組み上げられている。
発展が止まった社会というのは血液が流れなくなった肉体のようなモノなのである。
じゃあ、なぜ人間社会はこれからもずっと発展し続けると考えられているのかといえば、「人類という種がまだまだ進化の途中である」と信じられているからであろう。
ていうかそうでも思わなきゃみんなが自暴自棄になって人間社会は保てないと思う。
しかしながら、正直なところ人類の寿命はそう長くないのではないかと感じる。
個人の寿命ではなく、「人類という種の寿命が」である。
ただ、個人の寿命みたいにたった数十年とかのレンジで尽きたりはしないだろう。
個人の時間の単位で見ればそれはまだまだ遥か先の出来事であり、これをご覧になっている人に直接関係するモノではない。
人類の寿命は幾ら長くても1万年は無いのではないかと思われる。
個人にとっては想像もつかないほど未来ではあるが、47億年を経た地球の時間からすればそれはほんの一瞬である。
目を瞬く間さえ無い時間の単位だ。
つまり、『人類の時間』は今この瞬間すでにエンディングを迎えているってことだ。
映画でいえばエンドロールが流れている真っ最中なのである。
『最後の時』をどう過ごすか、個個人もまた問われる時が来るだろう…
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