どんな人の心にも穏やかさとともに荒々しさかあります。
それはコインの表と裏みたいなものです。
荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。
例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。
だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。
荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。
でも、荒々しさを生きるための推進力として常時継続的に使い続ければ色々と『無理』が出てきます。
荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです。
怒りのエネルギーを燃やすって、つまりはアドレナリンの沸騰みたいなモノを求めてるんですよね。
それは生きることの推進力として、アドレナリンの沸騰みたいなモノを『燃料』としてるってことです。
別の言い方をすれば火事場の馬鹿力的なモノをずっと期待し続けるってことです。
非常時だからこそ爆発的に作用する一過性のチカラを平常時でも継続的に使おうと欲ばるのです。
そうなると、いつも沸き立つような想いをしなければ生きてるような気がしないなんてことになりかねません。
で、そのうちヤクの切れたジャンキーみたいに怒りのエネルギーを向ける相手を漁り出します。
そういう人は、怒り続けてなければ生きることへのモチベーションが一挙に下がってしまいますので。
手頃な相手を探しまわり、その人間なり集団なりを『サンドバッグ』にして飽きるまでぶっ叩きまくるのです。
そうすりゃ、気持ちがスカッとするのでね。
まぁ、ほんの一時的なことに過ぎないのですが…
そんな感じで怒りのエネルギーには麻薬のような『魔力』があります。
手っ取り早く人の心を燃え上がらせることの出来るドス黒い『魔力』がね…
ワイドショーにおいて何より重視されるのは「みんなで一緒に何かに怒ること」なのだなと思う。番組にとって優先すべきなのは「正確な情報」よりも「高揚感」とか「強い結束」とかであって、そのためには「共通の敵」が必要。
最近以上のような文章を拝見して、テレビという媒体も視聴者を惹きつけるために怒りの魔力に取り憑かれてるんだろうなと感じました。
ある意味『正義の怒り』ってヤツほど人の心を惹きつけ、高揚させるモノはないですからねぇ…
だから、無闇に怒りを煽る者には近付かないことです。
近付きすぎるとその人も怒りの快感に取り憑かれてしまうかも知れませんから…
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