例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。
実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。
つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、肯定すること』は別だってことです。
なので、例えば「世の中には不倫が絶えない」という事実を単に認識することと「不倫はあって当然なんだから、少しくらい大目に見ろよ!」と開き直ることは全然話が違うのです。
事実を認めた上で「だが、しかし妥当な状況にはない!」と考えることも可能だからです。
ツイッターとかを拝見していると世の中には不倫肯定派が想像以上に少なくないことを知ることが出来ます。
もちろん個人的な思想信条はそれぞれのご自由です。
しかし、一番の問題は不倫を肯定すること以上に己れの欲望に対してユルユルかつズルズルな認識を持っているということです。
そういう認識の人は性欲に限らず自分の欲望に関して相当にユルユルのズルズルなんだろうなと思うのです。
つまり、簡単にいえば欲望を暴走させやすいタイプだろうってことです。
別に「極端な禁欲主義を貫け!」みたいな無茶振りをしてるわけではありません。
人間は誰しも欲に引きずられ、欲に度々ひざまずく生き物です。
ても、それは決して褒められたことではありません。
ましてや「不倫の一つや二つでツベコベ言うな!」って感じで、欲望を野放しにしても心は良い方向へは向かわないってことは知っといた方がいいんじゃないでしょうか?
何にしろ欲望を暴走させないことが大事です。
そのためには欲望が暴走しやすくなる『大義名分』を自分に与えないことです。
不道徳なことをやっても「そんなの目くじら立てるほどの問題じゃないよ」と己れに信じ込ませることが出来れば、欲望のまま行動するためのハードルは下がります。
要は自分で自分に「欲望を剥き出しにしても堂々と胸張って良いんだぜ!」という『GOサイン』さえ与えられれば、欲望は勝手に暴走しだすってことです。
そうすれば羞恥心がなくなります。
羞恥心を失くすってのを鈍感力と言い換えることも出来るでしょう。
性欲だろうと物欲だろうと剥き出しにして他人に誇示する人って実際いらっしゃいます。
そういう人は「欲望を現実化出来る自分って偉い! さあ、みんな見てください!」って感覚になってるのでしょう。
で、結局欲望を暴走させて心の暗黒面に真っ逆さまに堕ちていくのがその手の人の大抵の末路です。
でも、欲望を剥き出しにする人って最近本当に増えてる気がするんですよねぇ…
残念ながら。
『このブログを浄化します』
募集中‼
※ お知らせ
現在ご要望があれば日曜祝日にも遠隔ヒーリングを行っております!
また時間外の施術であっても可能な限り対応させていただきますので、御希望があれば一度お問い合わせください。
営業時間 (日曜・祝日除く) :月~金 10:00~21:00 土10:00〜14:00
ご予約はメールにて24時間受け付けております。
当方で予定を確認の上返信申し上げますのでお待ちください。
メール:O-AkIO@n.vodafone.ne.jp
メール:O-AkIO@n.vodafone.ne.jp