この世とはある意味マヤカシだらけの世界です。
マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場です。
出来のいいマヤカシは八分くらいの本当の中に二分の大きな偽りがさりげなく混ぜ込まれているのです。
そうすれば、その本当に目が眩んで偽りがもっともらしく見えるからです。
これもホント! それもホント! あれもホント! と来て最後に肝心なウソでドーンと落とすわけです。
というかドーンと落とされてることにさえ下手すりゃ一生気が付かないまま終わります。
だから、この世のマヤカシにどっぷり浸かりながら己れの「正しい!」を存分に味わうことだって可能です。
っていうか世の中そういう人だらけな気がします…
事の真贋ばかりにいつもピントを合わせていたら遅かれ早かれ心は迷います。
マヤカシの持つ『もっともらしさ』に心の眼がくらむからです。
マヤカシに一生ヤラレない保証は何処にもありません。
誰だってその『もっともらしさ』に眼がくらむ可能性を何時も秘めています。
というか死ぬまで一度もマヤカシにヤラレないで済む人なんてどこにもいないのです。
だからこそヤラレやすい場所にわざわざ近付く必要はないと思うのです。
ヤラレやすい場所というの「これははホンモノだ!あれはニセモノだ!」とやたらと鑑定したがる人々の集う場所のことです。
例えば時々「本物の霊能者は誰それサンだけ!」みたいなことを書かれていらっしゃるのを拝見したりします。
書かれている方はそれを良かれと思って書かれているのかも知れません。
ただ、上にも説明したようにそういう考え方は構造的にかなり危険じゃないでしょうか?
「〇〇だけが正しい!他は間違ってるんだ!」みたいな考え方がです。
最近またこんな文章を拝見しました↓
多くの霊能者が念の影響のことを憑依と言っています。逆に言うと、憑依と呼ばれているものの殆どは、本物の憑依ではなく、単に念の影響だったり何でもなかったりです。(中略) 本物の憑依は、完全な人格交代を伴います。
引用文にある『憑依』の真贋については敢えてこの場では言及しません。(話の本筋と関係ないので)
ただ、元々ニセモノだらけのこの世界で永久不滅のホンモノを自分という移ろいやすい『生身の人間』の上に固定しようとする作業は随分と無理がある気はします。
ホンモノかニセモノかにごだわるより、自然か不自然か、或いは無理があるか無理がないかって見方を『物差し』にした方が心が迷いにくいんじゃないかと思んですよね。
物事を見る時の『物差し』としては。
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