人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。
「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。
その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。
簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界もそれに連れて歪む」ってことです。
そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出すのです。
歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。
人間は何にでも慣れるものです。「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。
その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。
簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界もそれに連れて歪む」ってことです。
そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出すのです。
歪みが恒常化するってのは簡単に言えば「慣れる」ってことです。
良くも悪くもほっとけば与えられた環境にドンドン慣れていきます。
もし慣れたくないなら、慣れてしまう前に「これは自分の持ち物 (感覚・感情・思考)ではない!」と自分自身の心にハッキリと認識させる必要があります。
自分にとって違和感のある人・モノ・場所と自分の心を可能な限り同調させず、切り離すということです。
逆に違和感のあるモノに触れても、自他の境界線をずっとあやふやなままにしているとそのうち自分のココロとドンドン同化していきます。
一般的な言葉でそれを表現するなら「朱に交われば朱くなる」ということです。
自分にとって違和感のある人・モノ・場所と自分の心を可能な限り同調させず、切り離すということです。
逆に違和感のあるモノに触れても、自他の境界線をずっとあやふやなままにしているとそのうち自分のココロとドンドン同化していきます。
一般的な言葉でそれを表現するなら「朱に交われば朱くなる」ということです。
で、最近こんな文章を拝見したのです↓
人は周りの環境で様々な感覚、そして思考さえもが意外と簡単に麻痺してしまう…。そして流されていることにすら気がつかない時すらある。そんな中で自分を保ち続けられるかどうかが本当の精神的強さでは無いのだろうか?
引用文の前半部分はその通りだと感じます。
ただ、最後の部分には疑問符が付くのです。
この世の中で朱に交わって朱くならない人は一人もいません。
どんなに精神的な強さがあろうとその人のいる環境の影響は多大に受けるのです。
例えば自分は何も変わってないと思っていても他人から見れば十分変わっていたりします。
それは知らず知らずのうちに環境の影響を受けているからです。
この知らず知らずのうちに影響を受けて変わることを一般的に『慣れる』と言います。
慣れることは善でも悪でもありませんが、人は慣れたモノに対して自覚がなくなりがちです。
ここでいう自覚がなくなるとは、自分と慣れたモノの間に本来あった『差異を感じる段差』が無くなって、行け行けどんどんのバリアフリー状態になることです。
それが有ることに違和感が無いので、抵抗感なく当たり前のように受け入れてしまいます。
人は精神力だけで慣れることに抗えません。
精神的強さだけで何でも乗り切れると信じるのは自分の心を迷わせる素です。
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