以前にこんなことを書きました。
例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。
こういうことを申し上げるのは、事実を単に一つの出来事として認識することと事実を普遍的な真実のように受け止めて肯定することを上手いこと分別出来ない人が世の中には少なくないからです。
実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。
つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!」と全面的に共鳴し、肯定すること』は別の話なんです。
こういうことを申し上げるのは、事実を単に一つの出来事として認識することと事実を普遍的な真実のように受け止めて肯定することを上手いこと分別出来ない人が世の中には少なくないからです。
意図的であろうとそうでなかろうとね…
で、最近またこんな文章を拝見したのです↓
5月からどこ行くのもノーマスクで消毒もしないし集いやカフェ、飲み会にも喜んで行くし大口開けて笑うしカラオケも行くしハグもして混み合う電車に乗り大阪の人混みにも埋もれて帰宅後の手洗いうがいも水のみで持病まであるのに風邪すらひかないというレポートをここに置いておきます
ハッキリとは分かりませんが、この方は「新型肺炎に特別な防疫は必要ない」派みたいなんですよね(ー ー;)
まあ、何をどう信じようとそれぞれの自由ではあります。
ただ、無症状のまま感染している可能性だってあるということについての『想像力』が働かないみたいです。
一つ申し上げたいのは『自分たちが新型肺炎に罹らなかったことを事実として認識すること』と『自分が罹らないんだから他の人も新型肺炎なんて罹らないのが普遍的な真実だと思いこむこと』は全く違う話だってことです。
まあ、最初に申し上げた話と筋は同じなんですけどね…
で、一番問題なのが自分の思ってることが普遍的な真実だと信じてしまうと想像力がドンドン働かなくなるところです。
引用文の話でいえば自分が無自覚にウイルスをばら撒きまくってるかも知れないとか1ミリも思ってないところです。
「自分の見える範囲で新型肺炎で酷い目に遭ってる人がいない」という半径3メートルくらいの事実しか認識出来ていないところとも言えます。
人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。
でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かとは簡単にいえば想像力です。
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。
その働きが鈍くなると感情や感覚が鈍感になります。
他人のものはもちろんそのうち自分自身の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。
その意味で鈍感さとは人間らしさを失う第一歩です。
逆にいえば想像力を養うことは人間らしさを養う道でもあります。
そのあたりは決してなおざりにしない方がいいだろうと深く思うのです。
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