以前にこんなことを書きました。
社会的に不道徳なことについて「何でそれが悪いの?」みたいな人が増えていて本当に「気持ち悪い(ー ー;)」と感じます。
行為や言動の是非に対してではなく、その『心の鈍感さ』に対してそう感じるのです。
上っ面の辻褄さえ合えば常識的判断などひょいと軽く飛び越えて「それは無いだろう(ー ー;)」って事柄にまで不感症になってしまっている人がやたらと増えている気がします。
それも『分別の付かない子供』などではなく所謂『いい年をした大人』の面々がそうなのです。
「え〜、これの何が悪いの? 法律では禁止されてませんけどぉ〜」とか勝ち誇ったようなニヤケ顔で言いそうな感じのね…
今はもっと「これのどこが悪いのか私にはさっぱり分かりません! 教えてくださいますぅ?」みたいにドヤ顔で語る人が増えている気がします。
こういうのを『モラルハザード』って言うんでしょうかねぇ…(-_-)
で、そのドヤ顔がどこから来るのかといえば『心の視野の狭さ』からだと思うのです。
『心の視野の狭さ』とは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの感覚・感情が十分感じられなくなった状態のことです。
そういった感覚・感情が鈍れば当然心も鈍感になります。
どんどん心が鈍感になれば「自分が鈍感であること」さえ分からなくなるのです。
何が問題といって「自分が鈍感であること」さえ分からなくなることが一番問題なわけです。
鈍感であるから色んなことに気付けません。
「気付けないこと」にさえ気付かなくなるのです。
そして、周りが思いっきりドン引きしてても一人ドヤ顔で胸を張る『ドン・キホーテ』のような人になるのです。
私はヒーリングなんていうことをしておりますので、一般的な「勤め人」の人とかとは随分違った感覚で生きています。
変なモノを見たり感じたりってのは日常茶飯事だったりもするのです。
それが本当に起こった出来事か幻覚幻聴なのかはともかくとして、そういう現象をよく見聞きするのは確かです。
「一般的な感覚とは違うんだ」という部分は絶えず認識してないと自分の感覚がズレていきかねません。
なので、ごく普通の日常生活の感覚ってのを大事にしたいといつも思っています。
『心の視野』が狭くならないようにね!
ただ、日常生活のいわゆる常識ってのだけを見て、それだけを元に物事を考えるというのもまた逆の意味で『心の視野』を狭くする素であろうと考えます。
心が唯物的な方向へ行き過ぎると目に見えないモノに対して鈍感になるってことです。
目に見えないモノっていっても別に超常的なモノとは限りません。
人の心だって目に見えないモノの一つです。
感覚か鈍感になれば人の心が見えなくなるのです。
自分の心も含めてね。
だから、常に目に見えるモノと目に見えないモノ、日常と非日常の間でバランスを取り続けることが大切なのです。
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