「生きてる間にどれだけ良い想いをして、死というゴールまで無事逃げ切れるかどうか?」が人生の勝ち組を目指す人々の『関心の中心』を成しているように思います。
「どんな生き様であってもテクニカルに健康で長生きしたヤツが勝ち! 早く死んだ方が負け!」ってな発想がです。
むやみに死に急ぐ必要はもちろんありません。
でも、そういう世俗的な成功哲学としての『健康』ってモノを至上の価値だと信じる気にはどうしてもなれないのです。
ここでいう世俗的な成功哲学としての『健康』とは「人生80年のゴールを社会的な勝者として迎えたい!」という欲望の行き着く果てのことです。
ある意味唯物論の極北です。
例えば平均寿命とまで行かなくても少なくとも80歳くらいまでは生きないと何だか「早すぎる死」のように扱われる傾向が世間的に見られます。
個人的にはそこらへんにスゴく違和感を感じるのです。
「平均寿命まで生きる」ってことの価値を全部否定するつもりはありません。
ただ、「それが何よりも優先される『価値』か?」と問われれば「それは違うんじゃないか」ってどうしても感じてしまうのです。
例えば60歳代くらいでお亡くなりになった方に対して喫煙や飲酒をしてきたから長生き出来なかったみたいなことを言うのは如何なものかと思うのです。
一つは不健康なことに対する不寛容さ、もう一つはその人の寿命の長さについての不寛容さが気になるのです。
ぶっちゃけた話誰もが完璧なまでの『健康』と長寿を求める世界って何だか窮屈で生きにくそうです。
不健康をわざわざ推奨するつもりはありませんけど、健康と長寿が人生においての唯一絶対の価値だなんて決められたならやっぱりガッカリします。
じゃあ、何故健康で寿命の長いってことのみが持て囃されるのかといえば上記でも申し上げた唯物論的な思考ってのが根っこにあるんだと思います。
それは「死んだら終わり! 何もかも死がゴール」って心の在り方です。
今の世の中では「肉体という物が無くなればその人の『存在』全ては綺麗さっぱり無くなる!」っていう考え方が主流です。
そういう考え方からすれば寿命は無条件に長い方が良いだろうし、物理的でテクニカルな健康が第一の価値基準ってのも納得できます。
個人的に共感できるかどうかは別としてね…
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