人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。
出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。
それを人は運といいます。
つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。
そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。
一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。
それが所謂『運命』っていうやつなんじゃないでしょうか。
日々刻々様々な場面で色んな『何か』を選び取ることで人の運命は進んでいきます。
選ばないっていう選択肢を選ぶことまで含めてね。
「親は選べないからねぇ…」 って話があります。
物質世界の視点だけで見れば確かにそうでしょう。
しかし、眼に見えない世界まで含めて考えるとそうでもないんじゃないでしょうか。
良くも悪くも一番大きな運命の分かれ目はどういう家庭に生まれてくるか?ってことだからです。
そして、生い立ちがその人の一生に与える影響はその後の人生全てを引っくるめても相当大きなパーセンテージを占めますので。
一人の人間の人生にとってそこらへんが丸ごとアンタッチャブルで風まかせだとはどうしても思えないのです。
ある意味一番重要な部分ですからね。
とはいえ「どういう親のところにどういうタイミングでどういうカタチで生まれてくるか?」なんてことが事細かに何もかも最初から決まってるとも感じません。
ある程度ザックリした 部分もあるのかなと思うのです。
ていうか人間ごときがその仕組みの全容を知り得ることは今後もないでしょう。
それは巨大な企業の地方の営業所でアルバイトをしている人間が会社中枢の重要事項なんて何も知らないのと同じです。
結局生まれる時に100%主体的に親を選んで誕生してくるのかといえば少し違う気がします。
ただ、無作為抽出方式でアトランダムに親が決まるわけでもないんじゃないでしょうか?
以上のようなことを以前に書いたことがあります。
で、最近親ガチャって言葉を時々見聞するようになりました。
「親ガチャ」とは、親の学歴や経済力などが子どもの家庭環境や学習環境ひいては人生に対する影響力が大きいにも関わらず子どもは親を選べないことをガチャに例えた状況のことを意味する表現。 (中略)「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。
現実社会だけを見るならば、「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」ってのは間違じゃないと思います。
ただ、魂レベルで考えるならば、「親と子の間柄が決まるのが「たまたま・偶然・運まかせ」ってことはないだろうな」って感じるのです。
「それこそカルマだ」っていうなら、カルマと呼べるのかもしれませんねぇ…
orion12 | プロフィール | ブログサークル
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