「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。
たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。
この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。
ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすく辻褄ってのは合うものだ」という考え方のことです。
逆にいえば、物事に完璧な調和と整合性を常に求めようとするってことでもあります。
また求められるものだと信じているのです。
ただ、それが如何に博覧強記の者であれ、この世は1人の人間の理解の範疇にスッポリと収まるほど『個人』に都合よくは出来てはいません。
それどころか人類という種にとっても、それはおそろしく難しいことです。
根源的な意味として世界に調和と整合性があったとしても、人間はその途轍もなく大きな『世界』というジグソーパズルの一部のそのまた一部として存在しているのです。
だから、人間から見れば世の中の出来事は不都合で不条理な出来事の連続に過ぎなかったりします。
世界は人間という種の理解の範疇など端から超えているのです。
ただ、それが如何に博覧強記の者であれ、この世は1人の人間の理解の範疇にスッポリと収まるほど『個人』に都合よくは出来てはいません。
それどころか人類という種にとっても、それはおそろしく難しいことです。
根源的な意味として世界に調和と整合性があったとしても、人間はその途轍もなく大きな『世界』というジグソーパズルの一部のそのまた一部として存在しているのです。
だから、人間から見れば世の中の出来事は不都合で不条理な出来事の連続に過ぎなかったりします。
世界は人間という種の理解の範疇など端から超えているのです。
しかし、世の中の多くの人たちが自分の納得を得られるような心地よい『予定調和の世界』を求めます。
それは一個人にとって「心地よくもなく辻褄も合わない『リアル』から逃れたい!」と多くの人々が願っているってことを示しています。
「この世がとんでもなく理不尽で不条理だ」って『リアル』からね…
この世はどう転んだところで不確実性の世界です。
そんな世界で無理に辻褄を合わせようとすれば、やがて『人としてのバランス』を失うことになります。
理不尽で不条理な世界で、倦まず弛まずバランスを取り続けることが「人が真っ当に生きる」ってことなんだろうと思います。
で、最近またこんな文章を拝見しました↓
社会は理不尽なものだから。学校は理不尽さに慣れる練習をする所だ。繰り返しそう言われると「理不尽さ」というのは理由もなく存在し、受け入れる以外にないんだというふうに聞こえるかもしれません。しかし違うんですね。「理不尽さ」の中身は搾取であり、ハラスメントであり、虐待でもある。
確かに「社会的な理不尽の多くが人為的なモノ」ってのは事実だろうと感じます。
まあ、人間社会における理不尽が人間由来であるのは当たり前っちゃ当たり前です。
それにむやみに慣れる必要はありません。
ただし、人間社会の理不尽と人間を超えた世界の理不尽は混ぜない方が賢明だと思います。
それって人類滅亡と地球滅亡をごちゃ混ぜにするのと同じようなモノだからです。
それとこれとは全然話が違うってことです。
『このブログを浄化します』
ヒーリングを習いませんか?
orion12 | プロフィール | ブログサークル
※ お知らせ
現在ご要望があれば日曜祝日にも遠隔ヒーリングを行っております!
また時間外の施術であっても可能な限り対応させていただきますので、御希望があれば一度お問い合わせください。
クリアー整体ヒーリングwiki
営業時間 (日曜除く) :月~土 10:00~19:00
orion12 | プロフィール | ブログサークル
※ お知らせ
現在ご要望があれば日曜祝日にも遠隔ヒーリングを行っております!
また時間外の施術であっても可能な限り対応させていただきますので、御希望があれば一度お問い合わせください。
クリアー整体ヒーリングwiki
営業時間 (日曜除く) :月~土 10:00~19:00