何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。
逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。
それがここでいうところの『因果応報』です。
なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。
原因という種があって結果という花が咲くのです。
原因に見合わない結果があると考えるのは不自然です。
それは何か現象が起こるなら、その現象相応分の原因が必ず何処かにあるってことでもあります。
だから、因果応報というのは宗教やスピリチュアルの専売特許でもないのです。
少なくともこのブログにおいてそれは『原因と結果の関係性を単純に表した言葉』です。
それでも、因果応報に関してスピリチュアルな特別ルールみたいなモノが存在するんだとおっしゃる方が時々いらっしゃいます。
通常の因果律を超越する例外 (仮) があるはずだとね…
例えばこんな感じで↓
霊的な観点においては、誰かに危害を加えたときの罪の深さは表面的な行為のひどさだけでなく、被害者の霊格にも比例します。逆もまた真なりで、霊格の高い相手を助けたら、そうでない相手を助けるよりも多くの陰徳を積むことになります。
以上を傷害事件に例えてみたいと思います。
仮に「Aさんが金持ちのBさんを殴りました」という事件と「AさんがホームレスのCさんを Bさんと同程度殴りました」という事件があったとしたら、2つの事件の刑事罰は同程度と判断するのが妥当かと思われます。
刑事罰はあくまで傷害という結果ですので。
BさんがCさんより社会的地位が高いのでより刑罰を重くなるはずだってのは「木に竹を接ぐ」ような話ですよねぇ。
実際の世界ではそんな理不尽がそこそこ罷り通ってたりしますけど、『当然の帰結』では全然ありません。
霊格ってのがどんなモノが存じ上げませんが、少なくとも因果の在り方を捻じ曲げられるような代物ではないでしょう。
まぁ、そういったモノがあればの話ですが…
とにかく1+1=2ってのが基本としたら、1+1=2の後に勝手にプラスアルファを付け足して答えは「3にも4にもなるんだよ」とか言われても、「そりゃ、元の式が完結した後に別の要素を付け足してるから答えは当然変わりますがな〜」って話なのです。
そういうのは現実の世界では「横紙破り」って呼ばれます。
眼に見えない世界のことはハッキリとした裏が取れません。
なので、言いたい放題になりがちです。
だから、誰かの言ってることが真っ当かどうかを判断する場合何らかの物差しが必要です。
私にとっては但し書きってのが一つの物差しになります。
『タダシ書き』が付けば辻褄が合わないことでも何とな〜く辻褄が合ったような気になりがちだからです。
でも、幾ら『タダシ書き』を付けたところで因果の在り方を変えることなど出来ないんですよね。
もし変えられるって人がいたら眉に唾を付けた方がいいと思いますよ。
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