ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。
そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。
今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。
簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。
じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。
「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。
もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。
その証拠に神さまという言葉ほど古今東西世界中の誰もが知っていて、しかもここまで曖昧模糊とした意味を持つ言葉はそうそうありません。
とにかく人間は実に様々なモノに神さまという名を付けてきました。
亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノ、エネルギー体の入った岩とかの物、エネルギー体の入った物のある場所、果ては宇宙人なるモノまでカミサマにしてしまっています。
或いは実在しない架空の概念にも神さまって名前は付いてたりします。
まあ、何でもありですよねぇ。
で、そういうあれやこれやの所謂カミサマたちに対して人間は色々とオプショナルな『設定』をその都度付与してきました。
解釈次第で如何ようにも千変万化する『都合のいい設定』をね…
例えばこんな風に↓
役割を終えた神さまは眠りにつきます。また、神上がりする資格があっても、出番がなくてしばらく眠ったままの場合もあります。祈りが届く事によって、そうした眠っていた神さまが目覚めて活動を開始することもあります。
「カミサマは寝たり起きたりするのだ」って理屈だと大抵のことは都合よく説明出来ますよね。
例えば「神が本当に実在するというなら、その証拠を出せよ!」と誰かに問われても「今神さまは眠っておいでなので、証拠は見せられません!」とかいえば済むのですから。
ていうか「眠ってた神が人々の祈りで復活する」って『設定』は、まるで映画大魔神シリーズのプロットそのものじゃないでしょうか?
そういう話の筋立ての方が、確かに『物語』(フィクション) としては面白いのでしょうけど…
まぁ、カミサマってのも一つの『物語』だから、似たような『設定』になってしまったんですかねぇ?
『物語』の展開には大抵『ご都合主義』が憑きモノですし…
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