儀式や慣習は生きている人間の側の都合で簡単に変わり得るモノです。
生きている人間が生きている人間の都合に合わせて動くのはもちろん自由です。
生きている人間の支配する時間と空間の中ではに限られますけどね。
ただ、反対からいうなら「亡くなったヒトは亡くなったヒトの都合で動いている」ということです。
亡くなった人間が生きている人間の都合に従う義理も道理もありませんから。
なので、葬式や法事で読経をしたりマントラを唱えたりしても所謂『成仏』とは関係ないといえます。
「それはそれ、これはこれ」って感じです。
ヒーリングなどをしておりますと所謂成仏をしていない亡くなられたお坊さんってのにお会いすることがあります。
これまで、一度や二度ではなくそういうことはありました。
しかもそのお坊さんたちの中には験力のある人々も少なからずいらっしゃいます。
ここでいう験力とは、一般的に死者を供養し成仏させることができるとされている特別なチカラのことです。
そんなチカラのあるはずのお坊さんたちですが、死後成仏できずに生きている人間の側にダメージを与えていたりします。
ヒーリングしている人の不調の箇所に憑いていたりするのでそれは事実です。
そして、そういうことは別に稀有な例ではありません。
もし読経や勤行などの宗教的な儀式自体に魂を浄化できるチカラがあると仮定するなら、論理的帰結とし、とっくの昔にその人たち自身が成仏しているはずの人々です。
何十年も読経や勤行を日課として過ごされていたはずですからね。
「仏教的な供養で亡くなられたヒトを本当の意味で成仏させることができるのか?」ということに対する個人的な『答え』は以上のようなものです。
簡単にいえば「現実には非常に難しい」ってことになります。
でも、世の中にはそういう宗教的な儀式や決まり事に何らかの霊的なチカラがあるはずだと何となく信じている人も少なくありません。
お経やらマントラやらという文字そのものに特別なチカラが宿っているという発想もその一つでしょう。
お経にしろ、マントラにしろ、あるいは聖書にしろそれを尊いモノだと信じて崇める気持ちを否定する気はありません。
個人にはそれぞれ思想信条の自由ってモノがありますからね。
ただ、それが実際に霊的なチカラを発揮するかどうかはまた全然『別の話』です。
正直宗教的にそういうチカラがあるとして尊ばれているモノの中で本当に何らかのチカラを有しているってモノは少なく見積もっても「あまり無い」と言えるでしょう。
先ほども申しましたとおり「それはそれ、これはこれ」って話です。
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