自信についてこれまでこのブログでは以上のように説明してきました。
改めて要約すると
① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。
よって、自信の有無には知識と訓練が必須とされる。
① 世間一般で言われている自信という言葉の意味は、「物事を知悉し習熟することによって得られる心の安定のこと」である。
よって、自信の有無には知識と訓練が必須とされる。
② このブログでいうところの自信は知識と経験値の集積には基づかない。
生まれてきた時のその人の魂の状態によって自信の有無は決定している。
それで、本当の自信というのを①のようなモノと思ってる人が世の中には圧倒的に多いです。
ていうか世間的には自信ってのはすべて①みたいなモノと考えられてますからねぇ、そう思うのも致し方ないでしょう。
でも、そう思ってる時点で②の意味での自信は持ってない人確定なんですよね。
すでに②を持ってたら、①の意味での自信を『本当の自信』として必死に身に付けようなどとはしないでしょうから。
私は②の意味での自信こそが本当の『自信』だと考えています。
少なくともこのブログで『自信』といったら②の意味での自信を指します。
改めて述べますと、②の意味での『自信』とは「自分がこの世界にいるのは至極当たり前だ」と気負いもなくごく普通に実感出来ている状態のことを指します。
もっと言えば『自信』の有無について考える必要などない状態のことです。
呼吸する前に空気があるかどうかなんて確認しないようにね。
で、その『本当の自信』というのはその人がどういう状態でこの世に生まれて来るかによってその有無が決まります。
生まれてくる時に「自分は無条件に認められている!」という感覚があれば『自信』のある人になり、なければ『自信』のない人になります。
現実には世の中の大半はその感覚のない人たちで占められてるんですけどね…
で、最近こんな文章を拝見しました↓
子どもの頃に幼児的願望(見てほしい、褒められたい、かまってほしい)が満たされていれば、失敗しても劣等感は持たない。でも満たされていないACは、成功しても劣等感がある。 幼児的願望が満たされていれば、人より劣っていても劣等感は持たない。でも満たされていないACは、優秀でも劣等感がある。
引用文に書いてある劣等感というのは、私の言葉でいうところの『自信のなさ』に酷似している気がします。
つまり、原初的な体験として、幼児的願望(見てほしい、褒められたい、かまってほしい)が満たされていれば、自信は自ずから生まれるということです。
逆にいえば、幼児的願望(見てほしい、褒められたい、かまってほしい)が十分満たされている人は本当に希少であるということでもあります。
そうじゃなければ、世の中はもっともっと大勢の自信のある人々で満たされているはずだからです。
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