「昔の人は純粋で、心も身体もより神の作った楽園に近い位置に居た」って心のどこかで感じているのかも知れません。
「人間は時代を経るにつれダメになっていくものだ」という考え方は、仏教の末法思想やユダヤ・キリスト教の終末思想など古来よりあちこちに存在してきました。
個人的には「時代が進むほど世の中なり人間なりがダメになる」って考えたがるのは、そういった昔の宗教的な考え方に呪縛されているからではないだろうかと思えるのです。
言い方を変えるなら、社会的な洗脳の結果「世の中は時代が進むほど必然的にダメになる!」という『終末論』的な考え方に多くの人々の潜在意識が囚われているってことです。
終末論において『堕落した終末』と対比されるのは『純粋な原初』です。
本当に純粋だったかどうかは別として、「原初の人間は純粋であった」という『信仰』が終末論のベースに存在するということです。
逆にいうと、「時代が進むほど人間社会は必然的に堕落していく」と深く信じているということです。
それとともに、「人間が堕落し切った果ての世界(終末)に神の怒りが炸裂する日が必ず来る!」と信じています。
「人類の堕落と神の怒り(天罰)による滅亡」までが、言うなれば『終末論セット』です。
まあ、キリスト教や仏教でなくても、昔から宗教関係には神さまが人間にご褒美を与えたり、天罰を与えたりするって考え方はあります。
もう少し宗教色を薄めた言い方なら「天変地異や疫病は人間の悪行に対する自然からのしっぺ返しである」てな考え方です。
激しい自然現象と人間の堕落をセットにしたがる人ってのは古今東西大勢いらっしゃいます。
天変地異や疫病などが起こるたびに「これは天罰だ!」と叫びたがる人が世界のどこかに現れるのです。
スピリチュアル系の中にも天罰が好きな人は少なくありません。
それは「人間が奢り高ぶれば、神さまが自然を使って罰を与えるのだ!」みたいな筋のお話をしたがる人が多いってことです。
天罰って言葉を使いたがる人は「神にわざわざスペシャルな罰を与えられるほど人類は特別に選ばれた存在なのだ!」という『信仰』を持っていると思われます。
終末論が「人間はぶっちぎりスペシャルだぜ!」てな感じの発想から出発しているので、『天罰』ってのもその同一線上にあるってことなのでしょう。
話を元に戻すと「とにかく昔は良かった!」っていうノスタルジー思考も結局は『終末論』的な世界観と同一線上にある気がします。
それってどちらも衰退期の思想です。
今時の言い方をするなら、人類の『終活』って感じがする言葉です。
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