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暴走モードの『善』ってヤツは恐ろしい

人間にとっての『善悪』というのは確かにあります。
しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」です。

だから、善だの悪だのといったってどこかに普遍不動のモノとして独立して存在しているわけではありません。
どこかっていうのは人間とは全く無関係な「どこか」ってことですけどね…


善悪は普遍の真理などではないってことです。
十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』の一つに過ぎないのです。要はどこまで行っても相対的なモノだってことです。


じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのか?
それは「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だと思います。
社会生活を行う上でのモラルとして善悪の判断は必要であるということです。

しかしながら、人間の社会というモノは有為転変止まるところを知らず、あっという間に変わりゆくモノです。
ということは当然その変化に合わせてモラルってヤツもドンドン変わっていきます。

人間社会のモラルが変わるってことはそれに連れて善悪が変わるってことです。
本質的に善悪は常に変わりゆくモノであるってことなのです。


朝令暮改の善悪という概念をまるで永久不変の真理のごとく信じ込めば、当然心は迷路にハマり込むでしょう。
そして、善悪を真理のごとく扱う人は後を断ちません。

人を見る眼を養いたいなら、一つ簡単な注意点があります。
その観察対象の人がどれくらい善悪を相対的なモノとして判断出来るかを見ることです。

善悪を相対化して見られない人っていうのは大抵自分のことを『絶対的な善』の側にいる人間だと認識しています。
だから、他人に自分の考えを幾ら押し付けても平気なのです。

ていうか「他人に自分の考えを押し付けることが善である」と信じ切っている場合も多いです。
いわゆる心が啓蒙へと向かっていくからです。

世の中には『啓蒙したがる人』ってのが少なからずいらっしゃいます。
ここでいう『啓蒙したがる人』とは他人に対して「自分が『正しい道』に教え導かねばならない!」という暑苦しい使命感を持った人のことです。

個人的には余計なお世話って風に見えますが、ご本人たちは至って真剣です。
まあ、その真剣さは大抵疎まれるモノなのですけどね…

人は「周りの人間より自分は優れている!」という根拠のない優越感を持ってしまうと「無知蒙昧な人間たちを自分が啓蒙しなくちゃいけない!」という傍迷惑な使命感に駆られたりするようです。そして、それこそが善をなすことだと盲信するようになるのです。

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