この世は不確実性の世界なので、言葉も不確定で移ろいやすいモノとして人の世に存在しています。
言葉とは本来的に流動的であやふやな存在です。
だからこそ強く断言する言葉にはチカラが生まれます。
ハッキリ言えば言うほど不確実の中にある不安をかき消すチカラが表向き生まれるからです。
確信のないことでも断定的に話せば確かに自信満々に見えるのでしょう。
ただし、それは一過性の儚いチカラです。
刹那のうちに消えているイリュージョンのようなモノなのです。
あやふやなことはあやふやなこととして「そう思う」「と推測する」とした方がベターなのではないでしょうか?
変に断言して他人を信じさせられたとしても、それは刹那の時を紡ぐ『不実なファンタジー』に過ぎないからです。
歯切れよく言い切るスタイルに希望を抱きすぎるとロクなことにはならない気がするのです。
例によって例のごとく独断と偏見ですがね…
刹那のうちに消えているイリュージョンのようなモノなのです。
あやふやなことはあやふやなこととして「そう思う」「と推測する」とした方がベターなのではないでしょうか?
変に断言して他人を信じさせられたとしても、それは刹那の時を紡ぐ『不実なファンタジー』に過ぎないからです。
歯切れよく言い切るスタイルに希望を抱きすぎるとロクなことにはならない気がするのです。
例によって例のごとく独断と偏見ですがね…
スピリチュアル界隈って「自分はなんでも分かってる」って感じで言い切る人が多いようにお見受けします。
特に霊能者とかね…
「自分は特別なチカラがあるので、物事の本質を見通せるのだ!」的な雰囲気を漂わせている人が少なくない気がするのです。
例えばこんな風に↓
「縄文時代は自然崇拝だった」というのは正しくありません。 自然崇拝説は「きっと自然現象をナンカスゲーと思って拝んじゃったんだろう」という程度の低レベルな憶測に過ぎません。 実際には、霊的な存在が実在することを知覚し理解していたのです。
思うに自分の正しさを主張したい方々も「自分的には確信があるけど、確証はないので〇〇は✖️✖️だって説を私は唱えます!」みたいなスタイルで主張されると反発も受けにくいんじゃないかと考えます。
どうしても言い切りたいなら、「客観的に見て絶対正しいかどうかは分かりませんが、自分の中では〇〇は断然✖️✖️です!」という言い方も出来ます。
どうしても言い切りたいなら、「客観的に見て絶対正しいかどうかは分かりませんが、自分の中では〇〇は断然✖️✖️です!」という言い方も出来ます。
とにかく「お前らは知らないだろうが、自分は絶対的な真実を知っているのだ!」って感じをダイレクトに出すと周りとの摩擦が起こるので、出来るだけやめた方がいいんじゃないかなぁってことです。
まあ、自信満々な「オレは霊的な真実をすべて知ってるぜ」系の人からしたら、そんな甘っちょろいこと言ってられるか!ってことなのかもしれませんがね…
まあ、スパッと言い切った方がカッコいいと信じているのかもしれません。
「スパッと断言できるオレってスゲえ!」みたいなね…
『このブログを浄化します』
ヒーリングを習いませんか?
orion12 | プロフィール | ブログサークル
※ お知らせ
現在ご要望があれば日曜祝日にも遠隔ヒーリングを行っております!
また時間外の施術であっても可能な限り対応させていただきますので、御希望があれば一度お問い合わせください。
クリアー整体ヒーリングwiki
営業時間 (日曜除く) :月~土 10:00~19:00
orion12 | プロフィール | ブログサークル
※ お知らせ
現在ご要望があれば日曜祝日にも遠隔ヒーリングを行っております!
また時間外の施術であっても可能な限り対応させていただきますので、御希望があれば一度お問い合わせください。
クリアー整体ヒーリングwiki
営業時間 (日曜除く) :月~土 10:00~19:00