眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。
『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。
アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。
多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。
我々のいるのはそういう世界だってことです。
そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れた世界だ」ってことです。
アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。
多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。
我々のいるのはそういう世界だってことです。
そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見に溢れた世界だ」ってことです。
発見がそこら中に転がってるってのを逆にいえば知らないことだらけだってことです。
もっと簡単に言えば生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れているということです。
例えていえば人間ってのは西遊記に出てくる「お釈迦さんの手のひらの上の孫悟空」みたいなものです。
もっと簡単に言えば生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れているということです。
種としての人間ごときが分かることなどタカが知れています。
人間世界の中で、「どんなに知識豊富であろうと! どんなに経験豊富であろうと!」です。
そこんところを骨身に染みて認識出来てなければ、人は簡単に心の闇に呑み込まれていくでしょう。
敢えて大げさに言えば、人間の中身は1%の知識と99%の無知で出来ているのです。
未知なるモノと対峙する時に、その99%の無知を認識出来てなければ危険な局面を迎える可能性はそれだけ高まります。
人は知ってるつもりになればなるほどこの世に溢れるマヤカシに引きずり込まれる確率が高まるからです。
人は知ってるつもりになればなるほどこの世に溢れるマヤカシに引きずり込まれる確率が高まるからです。
例えていえば人間ってのは西遊記に出てくる「お釈迦さんの手のひらの上の孫悟空」みたいなものです。
自分たちをそれ以上の存在だと思ってしまった時点ですでに心は迷子になってます。
で、最近またこんな文章を拝見しました↓
学問をやる最大のメリットは、「世界は自分程度の頭では到底理解しきれないほど複雑怪奇なもので」「それで一向に構わない」ということを身をもって知ることだと思う。この体験がない人間は自分が無知で無力であることに耐えられない
無知で無力であることに耐えられない人たちの多くは万能感を求めるようになります。
ここでいう万能感とは「この世のすべてを自分はありのままに遍く知っている!」という風な浮かれた心の状態を指します。
万能感に逃避する人っていうのは「この世の不条理と理不尽を見たくない」という願望が強いのだと思います。
だからこそ誰でも納得するような絶対的な整合性をすべての物事に求めようとするのです。
そんなモノは所詮バベルの塔を建てようとするみたいな行為なんですけどね…
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