波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。
別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。
波動のレベルが下がればどうなるかというと、簡単にいえば人としての『心』がアホになります。
知識量の多寡や知能の優劣には関係ありません。
人が本来持っているはずのココロの共感性が下がるのです。
そして、剥き出しの自我が表に現れるのです。
鈍感になったココロはそのことに気付きません。
或いは気付いてもオカシイこととは思わなくなるのです。
それが「人としての『心』がアホになる」ってことの意味です。
ここでいうアホになるっていうのは一言でいえば想像力を失うということです。
想像力を失うというのは自らの無知を補うチカラを失うということです。
人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。
でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かが想像力なのです。
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。
でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。
その何かが想像力なのです。
ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。
で、一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きが想像力なので、当然心が鈍感になればその分想像力を失います。
そして、他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。
その意味で鈍感とは人間らしさを失う第一歩です。
そして、他人のものはもちろんそのうち自分の感情や感覚にまで鈍感になっていくのです。
その意味で鈍感とは人間らしさを失う第一歩です。
あと、鈍感な人にはデリカシーがありません。
想像力がないのですから、当たり前っちゃ当たり前ですよね。
て、最強またこんな文章を拝見したのです↓
ある面接で「絶望したことがあるか?」と聞かれたことがあって、不肖無精あると答えると「どれくらいだ」と再び聞かれた。絶望という人にとって最も触れられたくない経験を不躾に聞いてきて、しかもその「客観的」レベルを測らせようとする人がいることに本当に驚きかつ悲しくなった。
先ほど鈍感な人にはデリカシーがないって申し上げましたが、その実例としてはピッタリすぎるほどピッタリではないでしょうか?
「会社の面接だからって何でも聞いていいわけじゃない!」っていう程度のデリカシーも無くしているんだろうと推測します。
人は誰だって想像力を失うと『裸の王様』になっていきます。
ここでいう『裸の王様』とは鈍感の沼に心が呑み込まれてしまった人のことです。
そういう人は、周りの人にいくら指摘されても、自分の鈍感さに気付かないし、『鈍感』からくるデリカシーの無さを振りまわすことに何の躊躇いもなくなります。
そうなる前に引き返せるか引き返せないかは、人生において大きな運命の分かれ目になるでしょう…
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