世の中には「ありのままの自分」みたいな言葉を好んでお使いになる方々がいらっしゃいます。
「ありのままの自分を認めましょう! そうすれば心はまるっと解放されるのです\(^-^)/」みたいな感じでね。
でも、『ありのままの自分』の自分ってのが何なのか私には分かりません。
どんな人の心もブリリアントカットのダイヤモンドのように様々な側面があり、それぞれの側面が時には合し、時には離れて複雑な心模様を見せるモノだと思いますので。
そのすべてがその人自身の心ではないかと思うのですがねぇ…
ていうか『ありのままの自分』について誰もが納得いくような明確な説明をされている方を寡聞にして存じ上げません。
「中身のない『良さげな雰囲気』をふんわりと醸し出すためのお手軽なツールとして使われる言葉だな」っていうのが個人的な認識です。
古今東西全ての人間が自分の見たいものを見たいように見てきました。
「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。
もっと簡単に言えば、「自分が見たいものと見たくないものを無意識に自動で選別する心の装置を全人類が持っている」ということです。
つまり、人間というフィルターを通してる限り「丸ごと全部ありのままに世界が見えるわけはない」ってことなのです。
だから、そもそも人間には所謂一つの『ありのまま』なんてないのです。
『ありのまま』ってのは単にその人が「これがありのままだ!」と信じている事柄に過ぎないってことです。
それに『ありのまま』ってのがもし存在すると仮定しても、その『ありのまま』がいつでもどこでも誰にでも良いモノだって保証はないでしょうに…
最初から「良いモノに違いない!」と決めつけてるのがまた私には分からないのです。
例えばこんな風に↓
自己肯定って自分はできる!自分はすごい!自分は頑張ってる!自分はやれる!って、むりやり思うことじゃなくて、ただ自分のありのままを、自分のやってきたことを、良い悪い関係なくそのまま肯定するだけでいいんだよ。肯定して初めて、自分の理想との差を埋めるべく前に進めるようになるんだよ。
「とにかくいっぺん過去の自分を丸ごと肯定しろ」って話のようです。
この方によれば、そうすれば前へ進めるようになるらしいです。
でもね、本当にそうでしょうか?
随分一方的で振り切れた考え方のように私には思えます。
現実は「全肯定ではなく、かといって全否定でもなく、心のバランスを取りながら地味にコツコツ進む」しか『前へ向かって行く術』はないんじゃないでしょうか。
『ありのまま』っていう所謂一つのエデンの園は元々どこにもないのだから…
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