『クリアー整体ヒーリング』です

ヒーリングにまつわる話や不思議な話など

無知の知と思慮と人間らしさ

人間というのは本質的に無知な生き物です。
人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。
 
何かを知るということはその分『己れの無知』を知ることでもあります。
一筋の光に気付けばその周りの闇の深さを否応なく思い知らされるのです。
 
なので、得てして知るということにはある一定の苦しさを伴うものです。
その苦しさがイヤでイヤで知ることから逃げ出してしまう人も少なくありません。
 
単純に「分かれば上手くいく」と信じてる人は『知ることの闇』を舐めています。 
「知れば知るほど分からなくなる」なんてことはその辺にゴロゴロ転がっているのです。
 
ヘタな希望は簡単に絶望に置き換わります。
絶望を友にして希望に向かって進むくらいで丁度良いのではないでしょうか…
 
所謂霊的なことについて知ることは自分が何も知っていないと思い知ることでもあります。
知らないことに対する不安を味わうことでもあるのです。
 
知ることと知らないことの恐怖を一番味わうのが眼に見えない世界でしょう…
『群盲象を撫でる』が如き世界だからです。

なのに、単純に「分かれば上手くいく」と信じてる人が一番多いのも所謂スピリチュアルな世界です。
完璧な叡智なんてモノはこの世には無いのにも関わらずね…
例えば以下のような感じで↓
宗教も哲学も心理学もそしてスピリチュアルも、結局は同じ結論にたどり着くんですよね。な〜んだこれも結局一緒じゃんって思ってしまいます。(中略) 人間が思考することって、古今東西、大差はないはず。
引用文は「宗教も哲学も心理学もスピリチュアルも自分は全部お見通し!」っていう前提があってこそのお話かと思います。
全部お見通しじゃなければ全部同じとは断言出来ませんからねぇ…
 
まあ、実際は『仮定盛り』にしか見えませんけどね。
『仮定盛り』というのは「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す個人的な造語です。
 
で、その『仮定盛り』で一番ヤバいところは盛り付けられた話が盛り付けた途端に唯一無二の真実のように扱われ始めるところです。
あくまでも「その人の中では」ですけどね。
 
何でも分かったつもりになった人間は自分の無知に対してドンドン鈍感になります。
そして、鈍感になった分だけ思慮を失い、『人間らしさ』を無くすのです。
 
 
 
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