敵を切らんと思ふ所に心を置けば、敵を切らんと思ふ所に心を取らるゝなり。我太刀に心を置けば我太刀に心を取らるゝなり。我切らじと思ふ所に心を置けば、切られじと思ふ所に心を取らるゝなり。人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるゝなり。兎角心の置き所はないと言ふ。沢庵宗彭 『不動智神妙録』より
彼は「剣禅一如」ということを説いていました。
以上の話を我流でまとめると「元々何処にも置き場の無いモノを何処かに置こうとすれば不自然になります。不自然なことをやり続ければ遅かれ早かれ不自由になるのです。なので、心を一つ所に留めようとするな」ってことだと思います。
ていうか元々何処にも置き場の無い心ってヤツをずっと一つ所に留めようとすること自体すでに無理があるって話です。
要はマヤカシに囚われてるのです。
ここでいうマヤカシってのは裸の王様に出てくる『賢い人だけが見える糸』みたいなモノのことです。
端から有るはずのないモノを有るかような前提で話を進めていけば遅かれ早かれ辻褄が合わなくなるに決まっています。
でも、古今東西多くの人がそういう辻褄の合わないモノに繰り返し希望を見出そうとしてきたのが人間の歴史です。
たった一つの心の置き所、普遍の真実とやらを求めてね…
身もふたもないことを申し上げれば、心だけではなく森羅万象色んなモノに『置き場』って最初からないのだと思います。
だから、置き場のないのは別にダメなことじゃありません。
「唯一絶対の置き場が無いとダメじゃないか!」って考える人の心が危ういのです。
ありもしないモノばかり追いかけてると、そのうちマヤカシに囚われて心の暗黒面に堕ちていくでしょう…
自分だけがマヤカシにやられてる分にはまだ救いがありますが、周りの人を巻き込み、社会まで巻き込んでいくことも少なくありません。
真理だ!正義だ!と叫びながらね…
非常時には特に揺るがない心の置き所みたいなモノを求められがちになります。
「それを手に入れられたら、心底安心出来る」とか思うのでしょう。
何しろ世の中には不安と恐怖、疑心暗鬼、恨みと怒りなどなどが溢れかえっています。
そういうモノに多かれ少なかれ誰もが影響を受けてもいます。
そういう黒い想念の渦から逃れたいって思うのは人情です。
ただ、だからって有りもしないマヤカシに身を任せれば、心は腐っちまいます。
「心の置き所がない」ってのは「一生心のバランスを取り続けろ!」ってことです。
倦まず弛まずコツコツとね!
乱世なら尚のこと、それが求められることでしょう。
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